小路を歩けばあなたも江戸人 城下町の町名・二十四小路その3 本町編
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松本市史によると、城下町としての町割は、本町、中町、東町の三町をいい、他に枝町、小路が多く別れ出ています。
三町二十四小路と呼ばれていました。
<本町>
善光寺街道に沿う本町は松本城の中心『親町三町』の一つで、現千歳橋から現緑橋までの一丁目から五丁目までを言う。発祥は松本城築城の頃とされ、各種の問屋が軒を連ねる松本城下の荷物の集散地であり、経済の中心であった。
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18. 神明小路
19. 鍛冶小路 不明
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18. 神明(しんめい)小路の由来
伊勢町通りの中ほどにあった小路。その奥に
神明宮が祀られていた。
神明小路名の石柱不明
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19. 鍛冶(かじ)小路の由来
寛文延寶の頃 左文字包保という 刀鍛冶がいて代々鍛冶頭をしていたことによる。
鍛冶小路の場所・鍛冶小路名の石柱・不明
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20. 同心小路
21. 生安寺小路
22. 鍋屋小路
23. 天神小路
24. 風呂屋小路
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20. 同心(どうしん)小路の由来
この小路は元禄九年(一六九六)に藩主水野忠直が設けた町同心の屋敷があったので 同心小路とよばれた。およそ十人の町同心が住み、本町・東町・安原町にあった同心番所に詰め 昼夜をわかたず、城下の治安維持と商取引の不正を取り締まった。
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21. 生安寺(しょうあんじ)小路の由来
町人町・本町から東へ入る小路名。かつては生安寺(現在は蟻ヶ崎に移転)を見通すことができる小路であったため、この名がついたといわれる。また、三月・五月には節供のひな人形を売る店が軒を連ねたので、ひな小路とも呼ばれた。
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22. 鍋屋(なべや)小路の由来
町人町・飯田町の南端の角から西へ入る小路名。「古実連記」には、「鍋屋有之故鍋屋小路」というと、この小路の由来が述べられている。鍋屋とは鍋や釜を作る鋳職人の事で、田中、濱、三輪、戸田の四軒の鋳物師屋があったという。
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23. 天神(てんじん)小路の由来
町人町・本町五丁目から東へ入る一町名。本町から天神の社が見通せるので、天神小路と呼ばれた。なお、ここには小笠原秀政時代に京都右近に模した天神馬場が設けられていた。
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24. 風呂屋(ふろや)小路の由来
零鉱泉、桐の湯とふたつの風呂屋があったことによる。
風呂屋小路名の石柱不明
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