小路を歩けばあなたも江戸人 城下町の町名・二十四小路その2 中町編
松本市史によると、城下町としての町割は、本町、中町、東町の三町をいい、他に枝町、小路が多く別れ出ています。
三町二十四小路と呼ばれていました。
<中町>
城下町親町のひとつ。善光寺街道の道沿いであった。
10. 幸福寺(広福寺)小路不明
11. 本立寺小路
12. 神明小路
13. 裏小路
14. 一ツ橋小路
15. 新小路
11. 本立寺(ほんりゅうじ)小路の由来
旧中町上ノ丁から本立寺の山門にいたる参道であった。慶長末年小笠原秀政の母の菩提寺と定めたが、明治五年の廃仏毀釈で廃寺となった。伊織霊水は本立寺境内にあたる。
12. 神明小路(しんめいこうじ)の由来
中町の守護神たる神明宮があることに由来する。
神明小路名の石柱不明
13. 裏小路(うらこうじ)の由来
東町大橋から大手橋(千歳橋)までの女鳥羽川左岸を中町の裏にあたることから裏小路と呼んだ。天保三年(一八三二)犀川通船の運航により日本海の海産物が運ばれるようになると 道幅一間の通り沿いは魚屋などが軒を並べにぎわった。
14. 一ツ橋(ひとつばし)小路の由来
中町から一ツ橋に通じる小路で宮村町とはくいちがいとなっている。古よりこの小路は肴店でにぎわい、藩御用達の商人はここを通って東門から城内へ入ったという。
15. 新(しん)小路の由来
中の橋と中町を結ぶ小路で、小池町とは城下町の特徴であるくいちがいとなっている。貞享年間の頃、中町孫四郎の願いによって屋敷の内に小路を開け肴店をはじめたという。
16. 源智小路
17. 庚申小路
16. 玄知(源智)(げんち)小路の由来
小笠原氏の家臣 邊縫殿之助が入道して玄智と號しここにいたことに基づく。有名な井戸はその宅址である。あたかも町内飲料水の水源に当たるのをもって 現在の当て字となった。
玄知(源智)小路名の石柱不明
17. 庚申(こうしん)小路の由来
常福寺の庚申参拝路であったことからつけられた。現在は北向き観音が祀られているが、毎年子どものお祭りが続けられていて、お庚申小路と呼ばれている。
庚申小路名の石柱不明