国宝松本城 豆知識①3つの門「太鼓門」
国宝松本城の東側(松本市役所側)から入る門が太鼓門です。
国宝松本城には、3つの門があります。
1つは、本丸庭園に入る「黒門」2つ目は東に位置する「太鼓門」3つめは、「大手門」です。
太鼓門の美しい外観は、平成11年に復元されたものです。
外堀にかかる「鵜首(うのくび)」を渡り、二の門(高麗門)をくぐると桝形に出ます。
桝形に図入りの説明案内看板があります。
「太鼓門桝形 たいこもんますがた」
城の入口を固く守るために様々な工夫がなされた。その典型的なものが桝形門で、石垣・土塀を四角に囲って、内と外に門を二重に構えたものである。松本城には、大手門・太鼓門・黒門の三つの桝形門があった。
太鼓門は、天守築造後の文禄4年(1595)頃に石川康長によって築造され、それから270年余年後の明治4年(1871)11月、旧物破壊の風潮の中で取り壊されたままになっていた。第2次世界大戦後になって文化財保護の思想が高まり、松本城国宝保存工事、黒門の復興等を経て平成11年(1999)3月、128年ぶりに太鼓門が復元された。(太鼓門案内看板 桝形説明文より)
太鼓門桝形内部
周りの壁には、敵を監視したり矢・鉄砲などを用いたり攻撃が出来るための△と□の形をした小窓「狭間サマ」があります。
「玄蕃石 げんばいし」
桝形に入ると一の門にある巨大な石が目を惹きます。玄蕃石と呼ばれる石です。
松本城最大の石で、重さ約22.5トン(玢岩/ひんがん)あり、松本の東、岡田か山辺の石といいます。松本城を築城した石川玄蕃守康長が運ばせた巨石で、運搬の苦労を物語る伝説が伝えられています。康長の名にちなんで玄蕃石と呼ばれています。(国宝松本城HPより)
国宝松本城HPに「玄蕃石伝説」のページがあります。
「一の門」
上を見上げると
「太鼓門」
太鼓門枡形の一の門をいいます。江戸時代は倉庫として使用されていました。明治初年に破却されましたが、平成3年から発掘調査、同4年に石垣の復元を完了し、同11年に土台石の形に合わせて柱を削り、太鼓門が復元されました。樹齢400年の檜、梁は140年の松を使用しています。
太鼓門の建設年代は明確ではありませんが、石川氏の時代には完成していたと考えられています。門台南石垣の西土中から金箔瓦が発見され、市立博物館に展示されています。
門の東側床に石落がついています。当時は通常朝6時に開け、夕方6時に閉めていました。(国宝松本城HPより)
切り株
「太鼓楼」
北側から2階に上がる階段があります。当時は時を告げる太鼓を鳴らしていた場所だそうです。
「文化五~天保六年頃松本城下絵図」の一部太鼓門北側門台上には太鼓楼がありました。鐘と太鼓が備えられ、時を知らせる等、家臣に情報を伝える役割を果たしていました。この楼があったので門を太鼓門と呼びました。(国宝松本城HPより)
現在は、2階には上がれません。
ご注意ください!
黒門・太鼓門は、耐震診断により今後耐震補強工事をおこなっていきます。
工事には時間がかかるため、黒門・太鼓門を通行中に大きな地震(震度6強以上)が来た場合は、充分お気をつけて通行ください。
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- 太鼓門の位置
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