松本の伝統工芸みすず細工

2009.8.15
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2009年5月の半ばにスタイリストの伊藤まさこさんのトークショーで初めてみすず細工のことを知り、松本の伝統工芸みすず細工とは一体どのようなものなのか調べました。

「みすず細工を知っていますか?」と松本に住んでいる人に聞いてみてもほとんどの人は「始めてその言葉を聞く」と言います。みすず細工は誰も知らないようなものなのでしょうか?むしろその逆なのです。と言っても50~60代以上の人にとっての話です。あまりにも身近によく使われていた為に「みすず細工」という言葉を知らなかったようです。松本に生まれながらに住んでいる人が北アルプスの山々の名前を気にせず知らないのと同じなのかもしれません。昔の松本の家庭にあったザル、ビク、行李のほとんどはみすず細工でした。しかし、当たり前過ぎたせいなのか図書館に行ってもみすず細工に関する本はありませんでした。今回調べてわかったことを惜しみなく記載したいと思います。


まず、伊藤さんのトークショーで名前が出ていた中澤今朝源さんのお宅を訪問させていただきました。2009年2月に今朝源さんは亡くなりました。松本でみすず細工を職業として行なっていた最後の職人さんです。
奥さんに今朝源さんや他の方が作ったみすず細工を見せていただきました。
材料のスズタケす立て文庫びく
作りかけ蕎麦ざる完成蕎麦ざる

岡持ち、ビク、蕎麦ザル、かご、行李、文庫、す立て(自家製の醤油を作るときのこし器)、そして今朝源さんが作りかけていた蕎麦ザルがありました。
かご底かご側面

かごの裏の網目の美しさに驚きました。きれいな渦巻きです。現在のザルなどは機械で作られているものが多いそうです。壊れてしまったら修復できません。しかし、手で作られたものは、再び手によって修理することができました。職人さんがいなくなってしまった今となってはそれもできなくなってしまったのかもしれません。
奥さんが、「プラスチックのザルは水の幕が張ってしまい水切れが悪いのですが、みすず細工のものは、竹の表面がツルツルなので水切れがいいです。」と言っていました。(竹は水分を吸収する性質もあるため水の幕が張りません。)
裁縫箱裁縫箱

また、愛用の裁縫箱を見せてくれました。今朝源さんの作品ではありませんが、「名人」がくれたそうです。職人さんは、それぞれ得意とする品物がありお互い交換し合って売っていたそうです。(※現在では、中澤さんのお宅ではみすず細工を販売してはいませんのでご了承下さい。)さらに輸出されていたこともあるとの興味深い話を聞きました。


みすず細工についてもっと知りたくなりました。松本市から出されている「名工・名産品ガイドブック」には、みすず細工について次のように紹介されています。
『みすず細工とは、割竹を編んで作る生活用品のことです。松本や東筑摩郡の副業・伝統産業として名高いものの一つで、明治30年代にピークを迎えました。生産者の多くは、農閑期の農家で、原料となる篠竹(しのだけ)の別名がみすず竹であることからみすず細工の名が生まれました。行李や文庫、ざるなどの生活用品が作られ、柳宗悦の著書でも紹介されています。』

民芸の創始者柳宗悦さんの本に書かれているとは!一体どのように書かれているのでしょうか?
1942年(昭和17年)~1943年に執筆された「手仕事の日本」の中に書かれていました。
『・・・平らに網代編(あじろあみ)にした敷物や炉縁(ろべり)は他の地方にないものです。・・・』
「炉縁」とは?さらに疑問が出てきました。炉縁をもっている方に見せていただきました。炉縁とは、囲炉裏やコタツの枠の外側にはめる敷物でした。畳や板の間を熱から守ると共に、出入りの多い場所を保護するためのものでした。今では見かけることはありませんが、年配の方は良く知っているようです。
ろべり網代網の炉縁


みすず細工の特徴は、水切れの良さや熱に強いだけではありません。雑誌「信濃路 No.3」(昭和40年代に発刊されたと思われます)に向山雅重さんが次のように書いています。
『・・・衣類などを入れるこの竹行李は、軽くて強靭、弾力があるので、荷造りして旅先へ送るなどによろしく、昔から、旅働きする人には、なくてはならないものとされてきたもの。スズ竹はネズミも噛まないので、衣料の保管にもまことに好ましい。・・・』

信濃毎日新聞社から出ている「手づくり 信濃の美1」(昭和47年刊)という本には三代沢本寿さんが次のように書いています。
『-軽くて丈夫で通気性- ・・・明治の末から大正にかけてのある時期、アメリカからの注文が殺到したことがあった。それは、みすず細工のピクニック用のバスケットと、ボストンバッグに似た小型の手さげカバンなどがおもで、今はなき松本市の元呉服商山崎庄助さんが、この仕事に情熱をかたむけ、そのころアメリカの博覧会で得た賞状や賞はいなどを、いくつか見せていただいたことがある。このカバンは、なかなか手のこんだもので、好評だったらしいが、どうしたことか、その注文がぱったり途絶えてしまい、大変な損害を受けたそうである。・・・』
中澤さんの奥さんからお聞きした輸出の話が、どんなものだったのかわかりました。しかし、本には輸出されたカバンの写真はありませんでした。後日、実物を見ることができました。(当サイト内みすず細工~宮沢さんのお話~をご覧下さい)

輸出されるほどに栄えていたみすず細工はいったいどこで何人が作っていたのでしょうか?松本市文書館に記録があることを教えていただきました。ここでは篶(すず)細工として記されています。

「長野県町村誌 中南信編」(昭和60年刊)によると、中山村史明治9年の記録には、女性の中には篶竹細工をする人がいたと書かれています。

「松本市史 第四巻 旧市町村編 Ⅳ」(平成6年刊)の中山の「明治12年9月 村内概況取調書」には具体的な数字が書かれています。
物産、生糸 産出高50貫目 代価凡2000円(1貫は3.75kg)
篶竹細工 2000組 代価凡800円
薪 3000駄 代価凡450円
林野にある篶竹を伐採り、又は諏訪や伊那から買い、竹籠を作り、篶竹の値段が上がってきて利益は少なくなったが、生産高は年々増加する傾向があると書かれています。
また、明治22年には篶細工が「内国勧業博覧会」に出品されたとの記録があります。その時の解説書によると、嘉永2年(1849年)3月に始めて篶細工の製造法を知り、出品の物は篶細工小袖籠、製作者は中山和泉の早川源太郎。中山の境沢から篶竹を伐採。篶竹を割り、よく磨いて細くし、様々な機械を使って作った。篶細工の種類は、角籠、小袖籠、紙籠、物を入れて運ぶのに便利、また物入れとして置くのも便利。明治22年1月~12月まで職工一人分120個作製、代価84円。
余談ですが、明治12年の1円が今のいくらになるのかが気になり日本銀行に問い合わせました。記録されたのが明治34年からなのでそれ以前に遡ることはできないそうですが、明治34年の1円は今の価値に換算すると1,572円なのでそれ以上の価値があったのではないかということです。(日本銀行の物価指数のページはこちら

「ふるさと中山 縄文のむかしから 第一集」(平成2年刊)には明治43年の竹及び篶細工の各村の生産軒数などが書かれています。
中山は44戸、職工53人(男44人、女9人)、6630個製造。
里山辺村160戸、入山辺村135戸、広丘村65戸、本郷村73戸、片丘村65戸、ついで中山村。製造数は、松本村15万、片丘村42,700。


スズタケ材料のスズタケは今でも自生しています。鹿の食害で数は減っていますが記述の境沢付近のやや薄暗い林の中で見つけることができました。7月に見たものは太さは鉛筆程度で、竹は1m30cm~1m80cmくらい。枝はなく、先端近くで分裂してその先に葉がついています。節が高くないので竹細工に使いやすいのでしょう。私が山の中で見かけたスズタケは竹細工に使用するものとしてはあまり良いものではありませんでした。(よい材料については当サイト内みすず細工~宮沢さんのお話~をご覧下さい)
スズタケスズタケ根元


松本で作られたみすず細工を買うことはできなくなりましたが、見ることはできます。2009年7月に確認できた場所を紹介します。

山辺学校歴史民族資料館
常設のものにみすず細工があります。こちらで一番興味深いのは、防暑帽です。戦争のために作られたものだと思うと悲しいのですが、竹ヒゴの細さと帽子の繊細さには驚きます。みすず細工の軽さと丈夫さが認められたのでしょう。説明書きには『太平洋戦争末期には、軍に南方作戦用の鉄兜下用竹編み帽子の生産を命ぜられた』と書いてあります。
山辺学校資料館 防暑帽防暑帽と道具

他にもみすず細工が見られます。製造するための道具も展示されています。蚕の繭を広げるための蚕棚はスズタケの表皮面を底にして滑りやすく出し入れに便利なように工夫されています。昔の人の知恵には学ぶことがあるように思います。
蚕棚蚕棚拡大田植えビク日常使い

山辺地区はみすず細工の職人が多くいました。各村では競い合って技を磨いていたそうです。山辺地区は腕の良い職人がいることで知られていました。
山辺学校の校歌にもみすず細工がうたわれているほど、山辺地区の主要産業だったのでしょう。

松本民芸館松本民芸館
展示物が随時替えられるので、常にみすず細工が見られるわけではありませんが、文庫、手さげかごなどが所蔵されています。材料のスズタケがかめに入って飾られています。これはいつもあるようなので探してみてください。

旧開智学校
2階のホールの敷物はもしかしたら世の中で一番大きなみすず細工なのではないでしょうか。約79畳の大きさです。つなぎ目がないので材料を持ち込んで作ったのではないかと推測されます。何人で編んだのかなかなか調べられませんでしたが、後日知ることができました。(当サイト内みすず細工~宮沢さんのお話~をご覧下さい)手さげ籠かめとスズタケ

旧開智学校
2階大ホールスズタケのつやのびる網目隅
天皇御座所
2階の明治天皇の御座所にもみすず細工の敷物があります。移転改築前の写真でも御座所は竹細工の敷物があるように見えました。明治天皇はみすず細工の感触を楽しまれたのでしょうか。
2009年8月18日一部文章を加筆・訂正しました。