松本紬の武井豊子さん
2010年3月25日~28日松本市美術館で「武井豊子の仕事展 松本紬へ、深く。」が行なわれました。会期中に昼のニュースでそのことを知り早速会場に行くと、美しい着物、帯、糸などが展示されていました。人がこれほどまでに美しいものを本当に作れるのだろうかと疑問に思うほど神々しい作品でした。
上の着物の写真は「武井豊子の仕事」(案内小冊子)からお借りしました
5月上旬お忙しい中時間を取っていただき武井さんの仕事場でお話を伺いました。
松本紬とは
松本紬(つむぎ)は信州紬の一つで、たて糸に生糸、よこ糸に真綿から紡いだ糸を使います。生糸は繭から直接糸を取り出したもので細い糸です。「あゝ野麦峠」で女工達が製糸工場で繭から糸を取り出しているシーンがありますが、あれが生糸です。
生糸に不向きな繭を真綿にしてより出した糸はふっくらと、やわらかです。糸を紡ぐところを見させていただきました。繭を精練して1枚の紙状にした真綿がもみほぐされて綿状になり、糸になる様子は手品のようでした。驚きの余り写真撮影をする余裕がありませんでした。武井さんのホームページでその様子が動画で見られます。是非ご覧下さい。
昔は生糸に向かない繭をとっておいて冬の農閑期に機(はた)を織るのが女性の仕事でした。
「松本紬は、つやがあり、しなやかで、温かく、着心地がいいので松本の風土に合っています」と武井さん。
紬との出会い
武井さんはお父様が大工、お母様が洋裁を仕事としていました。木を彫ったり、お人形に服を作ったり、もの作りが遊びの一つという環境で育ちました。ものを作る仕事がしたいと自然に思うようになっていました。
布に興味があり信州大学の繊維学部繊維工学科に進んだのですが、自分がやりたいことが良くわからず何かを見つけるためにいろいろ見て歩いていました。大学2年生の時に松本市の織り元(織物を織る家や会社)「会津屋」で今まで見たことのない色と風合いの紬を見て「これをやりたい」と即決し、社長さんに何度も断られながらも半日粘って承諾を得て教えてもらえることになりました。社長さんは繊維学部の教授を良く知っていたので「うちで預かる」と連絡してくれました。
織り元での研究生生活が始まりました。すぐに機織をさせてもらい「楽しいことから教えてもらいました」。機織をしていて糸が切れてしまい真っ青になって状況を言うと、どうすればいいのか、どのような仕組みなのか教えてくれました。最初の手順からではなく、楽しいことから始めて最初の手順に導いてもらったことで苦痛にならずに3年間続けることが出来ました。
自然のちから
研修先の織り元では草木染と化学染の両方をやっていたのですが、武井さんは自分でやるなら草木染でやっていきたいと思っていました。「草木染はお客様に染色に使われた植物の説明をするとイメージが広がっていきます。化学染では専門的な表現になってしまいイメージしにくいでしょう。草木染はお客様が“大事にしよう”という気持が強くなるように感じます。」
草木染はベースにグレーがあり、渋みがあるために色同士がけんかしないので安心して使うことができます。「“だからと言って油断してはいけないよ”と仲間から忠告を受けることもあります。(笑)」
「草木染には植物の持っているパワーがあるため仕事をしていてもパワーを感じています。イライラしていても仕事をしているうちに気が静まってきます。」確かに染められた糸を見ているだけでも不思議に安らぎます。
使用する植物は身近にあるものを主としているのですが、時には遊びも兼ねておいしいお蕎麦を食べに行きながら南信(長野県の南側の地区)まで採りに行くこともあります。
草木染は同じ植物でも採った場所や年によっても色が違います。「でも失敗の色はありません。みんな本物の色です。」染めたばかりの糸は色が変化していくために染めた糸を“寝かせて”おきます。3ヶ月~1年くらい様子を見て色が落ち着いてから織り上げます。着物にしてからはわずかですが色に深みが加わります。着ている人と共に歳を重ねているようです。
訪問着などのデザインには自然風景が描かれています。自宅から仕事場までの通勤途中に車から見た風景や夜空をスケッチして「自然からヒントをもらっています」。着物なので着て美しいデザインを心がけています。絵のように訴えが強くなってしまうと着ている人が負けてしまうこともあります。着物には“用の美”があります。
個展の反響
ほとんどがオーダーメイドのため手元に残るものはありません。少しは手元に置いておくためと、力だめしのために時々公募展に出品しています。平成15年には内閣総理大臣賞を受賞しました。
最近では作品が手元にあるようになったので個展も3~4年に1回出来るようになりました。
最初の個展は松本駅前にあった本屋「ブックス63(ロクサン)」のギャラリーで行なうことにしたのですが、手元に作品がないために今まで作ったものをお客様から借りて“(私の)仕事展”として行ないました。「趣味ではなく仕事だということを示したかったのです。」
個展は思った以上に評判が良く、1週間で800人が来場しました。中には高校生が2~3度来てくれて、「着物が欲しい」とお母さんと相談をして注文してくれました。他にもたくさんの注文があったために仕事として継続することができました。
(記者から一言:偶然なのですが私はブックス63でアルバイトをしていました。武井さんの個展の時期とはずれていたと思います。ギャラリーは気軽に入れるようになっていましたが1週間で800人来ることはほとんどなかったのではないでしょうか。武井さんの個展はとても注目されていたのでしょう。)
継続のために
松本市の「ものづくり伝承塾」の支援もあり、松本紬の後継者としてお弟子さんに1対1で技術を伝授しています。経験豊富なお弟子さんもいて糸の紡ぎ方を教えてもらったそうです。今年も興味を持った方がいて研究生としてこれから迎えられるそうです。
着物のことをほとんど知らない上に、松本紬の“紬”って何ですか?というような状態で取材をさせていただきました。武井さんは親切に実演して見せてくれました。子供の頃家蚕の繭は良く見ていたのですが、恥ずかしながらこの取材で糸がどのようにしてできるのか初めて知りました。
手間と時間のかかる仕事でご苦労も多かったと思うのですが、笑顔で、時には声をあげて笑って話していただき、「好きなことだけど大変。大変だけど好きなことをやってこられた。」と言う武井さんは輝いていました。
今年2010年3月の個展では松本市が制作した“伝承ビデオ”で作業の工程が流されていました。武井さんの着物をお持ちのお客様が、「大変だとは思ったけれど、織るまでの工程がこんなに大変だとは思わなかった」と涙を流されていたそうです。織るまでの下準備に全体の8割の労力が掛けられているのです。
武井さんのホームページでは伝承ビデオが見られます。是非ご覧下さい。
武井豊子さんのホームページ → こちら