八月八日は「国宝松本城薪能」
八月八日(月)国宝松本城 二の丸御殿跡 特設舞台では、毎年恒例の薪能がおこなわれました。
薪能ファンの方々が、市内外からも多く訪れていました。
能「宝生流」二十世宗家・宝生和英さん
蝉丸(せみまる)
延喜帝の第四皇子、蝉丸の宮は生まれつき盲目でした。父の延喜帝は宮の後世を救おうと、臣清貴に宮を逢坂山へ捨て、僧形にするように命じました。
運命を受け入れた蝉丸ですが、1人残ると淋しく琵琶を抱いて泣き伏します。
やがて博雅三位がやって来て、蝉丸を慰め、小屋を作ってその中へ助け入れ帰って行きます。
夕景が絵のようです。
一方、蝉丸の姉宮逆髪は、心が狂乱し髪も逆立っています。彼女は御所をさまよい出て、いつしか逢坂山へやってきました。
夕景 益々美しさを増してきました。
すると近くの藁屋から気高い琵琶の音が聞こえます。
弾いていたのはなんと弟宮でした。姉弟は互いに手を取り合い、身の不運を嘆き悲しみ、また慰めあいます。
やがて名残りを惜しみつつも姉宮はいずこへともなく去って行き、弟は見えぬ目でいつまでも見送ります。
とても切ないお話しでした。
狂言/附子(ぶす)
主人が出かけるにあたって、大切な砂糖を食べられたらいけないと思い毒だから近くによってはいけないと、太郎・次郎の両冠者に言い残して外出します。
太郎・次郎の両冠者はこわいもの見たさに桶の蓋をとってみると、
附子(毒)にはあらで、当時は貴重な砂糖なので、二人は争って食べはじめ、とうとう平らげてしまいます。
はっと気がついた両人、秘蔵の掛軸や天台日茶碗を打ち壊してしまい、主人が帰ってきて言い訳をはじめます。
二人で相撲を取っていて、大事な掛軸などみんな壊してしまし、死んでお詫びをしようと毒である桶の中のものを食べてたというのです。
古典的なオチが、とても面白かったです!
火入れ式
今年は風が強く危険なので、儀式だけおこない、実際には点火されませんでした。
能 舎利(しゃり)
出雲国美保の関の僧が、都を見に京都に上がり、唐から渡ったという十六羅漢や仏舎利を見ようと、東山泉桶寺にやってきます。
寺男の案内で仏舎利を拝んで感激していると、寺の近くに住むという男がやってきて、一緒に舎利を拝みます。
そしてそのありがたい謂れを語っていましたが、にわかに空が曇り、雷光がひらめくと里人の顔を鬼と変わり、自分はこの舎利を望んでいた昔の足疾鬼の執心であると言い、仏舎利を奪い天井を蹴破って虚空に飛び去って行きます。
僧は物音に驚いて駆けつけた寺男から、釈迦入滅の時、足疾鬼という外道が釈迦の歯を盗んで逃げたが、韋駄天という仏が取り返したという話を聞きます。
そして二人で韋駄天に祈るとやがて韋駄天が現れ、足疾鬼を追い詰め仏舎利を取り返します。足疾鬼は力も尽き果てて逃げ去ります。
まさにクライマックスシーンです!能の醍醐味を存分に感じる見せ場が続きます。
歓声の代わりの拍手で幕を閉じました。帰り道空を見上げると月が輝いていました。
国宝松本城
来年も国宝松本城薪能は、八月八日に開催されます。
今年はうっかり別の予定を入れてしまい、終わったころには別会議が終わっていました。
直ぐに来年のスケジュールに薪能と書き込みました。