ブラタモリ「#183 松本~国宝・松本城はなぜ愛された?~」新まつもと物語HPで辿ってみる!①国宝松本城編
9月11日(土)NHKで放送された「ブラタモリ #183 松本~国宝・松本城はなぜ愛された?~」面白かったですね~
松本に住みながら知らないこともありとても勉強になりました。
テレビを思い出しながら、新まつもと物語HPの記事から「ブラタモリ 松本編」を辿ってみます。
①国宝松本城編
テレビで使われた古地図ではありませんか、まつもと水巡りマップのB面「松本城下町復元図」 もご覧ください。
国宝松本城
スタートは、国宝松本城
撮影日は、曇りでお城の背景の北アルプスの山並みが見えずに本当に残念でした。代わりにお堀の鯉が跳ねてましたね。
国宝・松本城。1593~1594年にできた五重六階の天守は現存するものとしては日本最古と言われています。明治には天守消滅の危機もありましたが、そのつど市川量造、小林有也というリーダーが広く住民に呼びかけ、保存・修理が成し遂げられたことが、今の“いざというとき”に結集する松本人気質ベースになっているのかもしれません。
国宝松本城 天守
アナウンサーの方が、「跡地はみたけど、天守は初めてです。」とおしゃっていました。
古いだけではなく、その佇まいの美しさは、何度見てもため息が出ます。
松本城が国宝に選ばれた理由は、構造にある!
国宝松本城の構造については、国宝松本城公式HPをご覧ください。
現存する天守12城のうち五重六階の天守としては日本最古の天守
大天守と乾小天守、その両者をつなぐ渡櫓は、戦国時代末期に築造され、辰巳附櫓と月見櫓は、江戸時代初めに造られたと考えられています。豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子により創建された大天守・乾小天守・渡櫓は、文禄2~3年(1593~4)にかけて築造されたというのが松本市の公式見解です。
これら三棟は、江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれています。(国宝松本城公式サイトより)
松本城は、3人の武将が関わりました。
国宝松本城公式サイトより
戦国大名が領国をめぐる争いを繰り返してきた戦国時代、常に敵と戦い、敵から領国を守ることを念頭にした戦略拠点としての性格が強く、強固な城が造られました。松本城の大天守・渡櫓・乾小天守は、こうした時代の末期に、関東の徳川家康の監視という役割を負って築造されました。
このように戦いを想定した備えとして、この三棟には、鉄砲狭間(さま)・矢狭間という弓や鉄砲を放つための小さな窓を115か所設置し、一階壁面の一部を外に張り出してその床面を開け蓋をつけた、鉄砲を撃つための石落を11か所設けています。天守の壁は一・二階で約29センチメートルと厚く、また内堀幅を火縄銃の高い命中精度が維持できるぎりぎりの約60メートルとして、鉄砲戦の備えを持っています。
このように戦うことを想定した備えをもつ大天守・渡櫓・乾小天守の三棟が戦国時代末期に、それから40年後の江戸時代初期の平和になった時代に、戦う備えをほとんどもたない辰巳附櫓・月見櫓の二棟が建てられ、異なる時代にわたって建築されました。それぞれ結合された天守・櫓が複合しているのが松本城です。戦国期と江戸期という性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は我が国唯一で、松本城の歴史的な特徴のひとつです。
市民記者ブログ 混雑時の松本城天守に登る!
現在でも中秋の名月の時期には、国宝松本城では「月見の宴」が催され「月見櫓」では、雅楽やフルートなどの演奏会も催されます。
今年は昨年に続き、コロナ感染拡大防止のために開催は中止となっています。
1番の特徴は、「平城」であることです。
松本城は標高590メートルの盆地内平地に位置しています。平地に築かれた平城です。城郭を囲む三重の水堀と土塁・石垣、出入り口や土塁の上に櫓や城門などを備えていました。三の丸内に武士を居住させて、防備を固めていました。(国宝松本城公式サイトより)
戦国時代になぜ「平城」なのか?答えは、②へ続きます。
松本市役所本庁舎の最上階から眺めることが出来ます。
市民記者ブログ 眺めのいい市役所
お知らせ
コロナ感染拡大防止のために3年9月12日(日)まで閉館していましたが、明日9月13日(月)から開場します。
【開場日時】令和3年9月13日(月)午前8時30分から通常どおり再開(最終入場は午後4時30分)
タモリさんのお話しで気になったこと①
タモリさんが、学生時代ジャズ研で毎年クリスマスに松本館のレストランで演奏に呼ばれていてレストランで好きなだけ食べていいいと言われて「そのころは肉に飢えていたので毎日すき焼きを食っていたね!」と言っていました。
え!タモリさんが、若かりし頃松本に通っていたんだ~初耳でした。
松本館
松本館さんは、「割烹松本館」として営業されています。タモリさんが、毎年呼ばれていたレストランは、丸の内ホールのことかと思います。
現在は、レストランではなく、貸し会議室として営業されています。
昭和35年 レストラン松本館完成(現丸の内ホール)松本館さんの歴史HP参照
市民記者ブログ 1度は訪れたい老舗割烹「松本館」太田南海氏プロデュース大広間に感動!
ブラタモリ「#183 松本~国宝・松本城はなぜ愛された?~」新まつもと物語HPで辿ってみる!②
「平城」である松本城が戦国時代の武将に愛された理由・・総掘りを辿る編に続きます。