「まつもと博覧会」松本市立博物館開館特別展③
2023年10月7日に移転オープンした松本市立博物館に行って来ました。
3時間かけて見学した内容をシリーズで投稿していきます。
今回は、3回目となります。
松本市立博物館 開館記念特別展「まつもと博覧会」
記念すべき開館記念特別展 先ずはこのポスター、入口の壁(メインビジュアル1枚目の写真)のデザインの美しさに心を奪われます。
そして会場を彩る1章ごとのパネルとイメージカラーの色使いの斬新さ!
もうそれだけでも、ワクワクしてしまいました。
松本市立博物館に就任されたアソシエイトプロデューサーおおうちおさむさんの存在が大きな影響を与えたのでしょうか。
新しい博物館は、所蔵品などを公開するだけではなくそこにアートの力を注ぐことで、展示品がより生き生きと光を放ち見るものに大きな刺激を与えてくれるようなに思います。
松本博覧会開催は、 明治を迎えた松本の人々に新たな時代の訪れを印象づけました。
本展覧会では、松本博覧会の内容や意義など多様な姿を探るとともに、明治の博覧会のオマージュともいえる新たな博覧会「EXPO MATSUMOTO」を開催します。
明治と令和の2つの博覧会を通して松本の未来を考えます。(公式サイトより)
プロローグ
明治6年(1873年)松本博覧会から150年の節目の年に開館した松本市立博物館
当時の「博覧会ブーム」と評された時代 急速に社会が変化する中で博覧会がどのような役目を担っていったのか?そんな問いを持ちながら展示を楽しみたいと思います。
松本の開化のための博覧会
明治6年(1873)三代目歌川広重 画
この絵は、松本博覧会を宣伝するための広告として描かれたものです。資料によりますと、「縣學開智学校」「医黌兼病院」など開化に関わるものが描き込まれています。
また「新聞縦覧所」という小屋のようなものが描かれているのは、市川らは「諸新聞ヲ縦覧」する仮設の場を設けることを県に建言していたようであり、人々に新聞を読む機会を提供しようとする市川の想いが実現したのであろうか。
とても興味深い絵です。本町通りのかつての様子が伺えます。
この川は開智学校川沿いにあるので、女鳥羽川です。橋は旧大手橋(千歳橋)
橋を越えて松が植えられている通りの右手は縄手通り、左手は六九通り
もうひとつ橋がありそこは今はない総掘りになります。大手門跡と描かれていることから門を取り壊されてしまった後の絵になります。現在では、総掘りに架かる橋も石垣も埋められ壊されて現在の「桝形跡広場」となっています。大手門跡の左上辺りが、松本市立博物館の位置になるのでしょう。
第1章
松本博覧会前史―博覧会との出会い―
松本博覧会を主導した人々は、ロンドンや東京で開催された博覧会を意識し、松本でも海外に並ぶ博覧会を目指しました。松本博覧会に大きな影響を与えた、万国博覧会などについて取り上げます。
日本が初めて公式参加した万国博覧会 ウィーン万国博覧会
頼光大江山入図大花瓶 明治5年(1872)
ウィーン万国博覧会への出展品 富山県高岡の錬金工によって制作された作品
日本初の博覧会は、明治4年(1871)「京都博覧会」西本願寺会場
第2章
松本博覧会―博覧会の姿と松本の文明開化―
松本博覧会明治6年(1873)11月に始まり、松本の人々に文明開化の到来を高らかに告げました。松本博覧会の開催内容や出品物を明らかにし、さらに、博覧会を主導した”市川量造”と松本の開化事業を紹介し、博覧会を担った人々の思いに迫ります。
松本博覧会開催
連日多くの人で賑わったそうです。全部で5回開催されました。通説では、市川量造らが松本城天守を買い戻したとされていますが、それを証明する資料は見つかっていないそうです。
いずれにしても、松本城を使い博覧会を開いたことで取り壊されず現在に至る功績は、市川量造に対して高い評価を与えるにふさわしい行動だったと思います。
様々なものが博覧会では、展示されていたようです。その中のひとつとして
神社から出品されたもの
筑摩神社の神宝
上段 舞楽面 室町時代~江戸時代
下段 左:陵王面 右:納曽利面
第3章
変わる展示会―開化から勧業へー
明治10年(1877)内国勧業博覧会の開催により、博覧会は地域の開化を目的としたものから、国内の産業振興を目的とする勧業博覧会へと変化していきました。
ここでは、松本博覧会後の動向についてみていきます。
臥雲辰致のガラ紡
波田村(現在松本市波田)の臥雲辰致は、第1回内国勧業博覧会に自身が発明した綿紡績を出展。評判は高く最優秀賞である「鳳紋賞」を受賞した。
臥雲辰致の発明した綿紡績機は、動作中に「ガラガラ」と音を発することから「ガラ紡」と呼ばれた。
その後も改良を続け第2回目の勧業博覧会にも出品して「藍綬褒章」を授与
第3回内国勧業博覧会でも蚕繭織機械を出品し、「三等有功賞」を受賞
明治初期の産業の振興に大きく貢献した。
第4章
EXPO MATSUMOTO―松本発のものたち―
松本博覧会には、古器旧物だけでなく県内産の特産品も集められ、地域の特性や魅力を発信する機能もありました。
ここでは、明治の博覧会をもとに今の松本を知る博覧会を開催します。松本をフィールドに生産活動を行う企業や作家の出展品を展示し、松本で生み出される特徴のある製品やものづくりを紹介します。
会場では、撮影OKのものと撮影禁止のものがありました。
撮影OKのもをの1部を紹介します。
ギター
驚くことに松本市は、ギターの生産量が日本一です。
フジゲン株式会社
株式会社ディバイザー・スズカギターデザイン・スギ・ミュージカル・ミュージカル・インストゥルメンツ有限会社
大変多くの松本市の産業を担う第1線で活躍する企業が紹介されていました。
出展協力
atelier m4 Inc.、株式会社エーアイテック、株式会社小松製作所、株式会社信栄食品、株式会社タカノ、株式会社ディバイザー/有限会社飛鳥、株式会社テオリアランバーテック、株式会社デリカ、株式会社日邦バルブ、株式会社フラワー・スピリット、株式会社松本民芸家具、株式会社柳沢林業、株式会社ユタカ、キッセイコムテック株式会社、五加音響研究所、国立大学法人信州大学 信大クリスタルラボ、信州メディカル産業振興会、スギ・ミュージカル・インストゥルメンツ有限会社、スズカギターデザイン、セイコーエプソン株式会社、關正幸、テスコム電機株式会社、東洋計器株式会社、浜染工房、フジゲン株式会社、ベラミ人形店、本郷織物研究所、マクセルイズミ株式会社、松本ハイランド農業協同組合 花き部会・花き部会共選部、三谷龍二(公式サイトより)
松本城界隈にいると、明治維新を迎えた時のことを時々想像してみます。
すべての価値観が大きく変わり時代の変動期に生きた人達は、何に戸惑い何に希望を持ったのでしょうか。
それまで市井の人々は、目の前の橋を超えることは出来ず、すぐ向こうに見える門の先に何があるのか訪れることは出来ませんでした。
維新が起き、門は破壊され誰もが自由に往来できるようになりました。
もし自分がそこにいたら何をして何を思ったことでしょうか。
そんなときにお城に入れると聞いたら、有り金集めてでも博覧会に出向いたと思います。
お城に登ることで、未来に対して何かしらの希望を見いだせたかもしれません。
天守の窓から松本平の景色を眺めて何を思ったでしょうか。四方山の美しさはもとより、見下ろした平の景色は、どんなだったんでしょう。
そこに展示された品々を見ることで、過去・現在を認識し未来を想像したのでしょうか。
開館記念特別展は、12月10日(日)まで開催中です。
開館時間9:00~17:00(入室は16:30まで)
休館日火曜日
観覧料特別展単独券
一般 1,000円(800円) / 大学生 600円(400円) / 高校生以下無料
常設展とのセット券
一般 1,200円(1,000円) / 大学生 800円(600円) / 高校生以下無料
※()内団体20名以上料金
ぜひお出かけください。
つぶやき・・・
子どもの頃に家族で大阪万国博覧会に行ったときのことを思い出します。
その当時日本中の人々は、万博に熱狂していました。そこで見るものすべてが新鮮で衝撃的だったのでしょうが、人が多く疲れた印象した記憶にありません。いつの時代も万国博覧会は、人気があるのでしょう。
2025年に開催される「2025大阪・関西万博」も新しく変換しつつある時代をどう捉えるのか興味深いです。