「まつもと水巡りマップ2018」③中町ぶらり~水の生まれる街~前半
新まつもと物語では、源智の井戸しかあまり知られていなかった松本市街地の湧水を点を線で結び、3つのコースを盛り込んだ水巡りマップを2008年に制作しました。
その結果多くの市民が松本の湧水の魅力を再認識し、多くの観光客の方にも認知されるようになりました。
2018年3月全面改訂版として新たな「まつもと水巡りマップ」を作りました。
①日の出の泉「薬祖水」
餌差町の女鳥羽の泉から南へ下ります。橋を渡り、そのまま進むと日の出町に出ます。
長野県松本薬業会館の敷地内にある「薬祖神社」の井戸「日の出の泉薬祖水」があります。
薬祖神社には、「大洗磯崎神社」(茨城県東茨木郡大洗町)から御祭神として「大己貴命(おおなむちのみこと)(大黒主命)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」が分霊されています。大己貴命は大黒様とも云われ、慈悲深く福徳を授ける神として、また少彦名命は医学の祖神として仰がれ、民を救う神として信仰されています。
「日の出町」その名が示すように全盛期には、日の出の勢いで発展する製糸工場にあやかりその名が付けられました。明治23年に松本最初の製糸工場、後に世界を征した「片倉工業」が設立され、松本は「商都」と呼ばれる街へと発展しました。
初代松本商工会議所の会頭を片倉工業社長の今井五助が20年間という長期に渡り務めました。片倉工業の女工さんがお休みになると日の出町で買い物したり、その西に続く中町は、繊維関係の問屋街として栄えていたそうです。
②伊織霊水
薬祖神社から西へどんどん歩いていくと、左手に曲がる道の向こうに伊織霊水があります。
1686(貞享3)年に起こった農民一揆「加助騒動」農民の救済に尽くした松本藩士鈴木伊織
農民たちに慕われ、亡くなったときには「伊織死亡候につき同家へ悔みに参る事不罷成候」という高札が出されるほどだったと言います。
墓所がここにあります。
井戸の横に大きな石碑が2つ立っています。向かって左側の碑は鈴木伊織の墓と伝えるものです。
伊織の墓のそばに出ている井戸なので、その名をとって伊織霊水と呼ばれています。
鈴木伊織は、農民一揆「貞享騒動」で、農民たちの助命・救済に奔走。
日の出町界隈も軒先に水が出ている箇所が多数あります。
松本市の井戸整備事業を受けて整備した湧水は、歩いているとほっと心を和ませます。
現在は2017年10月にイオンモールがオープンし、まちの在り様は時代と共に変化しています。
最近の日の出町には、閉店した小さな店の後に若い方たちのイノベーションした店も増えているので、ブラブラ散歩するのも楽しいです。
③中町
日の出町を西に進み交差点を渡ります。
角は善光寺街道の辻にあたります。
角の和菓子店の前に青い手押しポンプの「西井澤屋の辻井戸」があります。
中町通りは、「蔵づくり」の家が続きます。
明治の大火で多くの家が焼け、その後蔵を備えた家が多く建つようになりました。
江戸時代は、親町三町として商人の町として栄え、
日の出町がシルクで栄えていた時代は、中町は問屋街として賑わっていたそうです。
現在は、昔からの蔵を店舖として活用して観光客で賑わう通りになっています。
中町通りの中央にある正保四年(1647年)創業の矢口はきもの店の前の井戸
店の裏庭にある地下9mの井戸から水を汲み上げて流しているそうです。
宮村町を曲がると「正和の泉 せいわのいずみ」があります。
とことこ歩いていくと、軒先に整備された綺麗な井戸・湧水がたくさん見られます。
④蔵の井戸
中町・蔵シック館の前にある青い手押しポンプの井戸
中町・蔵シック館は、中町に隣接する宮村町にあった造り酒屋「大禮酒造」の母屋・土蔵・離れの三棟を現地に移築し、平成8年10月に開館しました。
中も無料で見学出来ますので、ぜひお立ち寄りください。
2018年春にオープンしたお菓子屋さんの横の小路の黒壁を抜けるとギャラリー&お土産屋さんの軒先に井戸がありました。
中町界隈足元をよく見ると、また路地を覗いてみたりして、井戸に出会うのも楽しいです♪