まつもと湧水巡り「伊織霊水」農民一揆「加助騒動」救済に尽くした松本藩士鈴木伊織の墓所前の井戸
伊織霊水は、2か所から水が出ていて自噴の湧水で、水を汲みに来る人も多い人気の井戸です。
井戸の前の道が道幅が広く車を横付けして水を汲みに来る人が多いです。
取材当日水を汲んでいたご夫婦に聞いてみました。
水を何に使いますか?
「飲み水だけではなく、ご飯を炊いたりお茶や珈琲にもなんでも使います。」
伊織霊水を選んだわけは?
「いろんな井戸を試してみましたが、ここが1番美味しかったです。」
自分の好きな水を見つける楽しみがあるのも、豊富な湧水井戸がある松本の魅力です!
1686(貞享3)年に起こった農民一揆「加助騒動」農民の救済に尽くした松本藩士鈴木伊織
農民たちに慕われ、亡くなったときには「伊織死亡候につき同家へ悔みに参る事不罷成候」という高札が出されるほどだったと言います。
伊織の墓のそばに出ている井戸なので、その名をとって伊織霊水と呼ばれています。
鈴木伊織墓所
1686(貞享3)年に起こった農民一揆「加助騒動」農民の救済に尽くした松本藩士鈴木伊織の墓所がここにあります。
井戸の横に大きな石碑が2つ立っています。向かって左側の碑は鈴木伊織の墓と伝えるものです。
農民たちに慕われ、亡くなったときには「伊織死亡候につき同家へ悔みに参る事不罷成候」という高札が出されるほどだったと言います。
加助騒動
1684年(貞享元)凶作が続き農民の生活は苦しく、農民の悲願を受けた庄屋の加助が年貢の軽減を長尾組の組手代に申し出ますが受け入れられず、松本藩に陳情したことによって、庄屋の身分を取り上げられました。
その2年後、凶作と疫病が同時に民を襲い、餓死者も出たために、加助は神社の拝殿で12人の密議のうえ年貢軽減の「5カ条の訴状」を松本城下郡奉行に提出します。松本平の農民1万人が、竹槍をもって城に押し寄せる騒ぎになりました。願いはいったん聞き入れられたものの、1カ月後にはなかったものとされ、この騒動を指揮した罪で加助とその同志、一族ら28人は幼い娘まで含めて勢高と出川の刑場ではりつけ、打ち首の刑に処されました。
「加助騒動」に関係する当サイトのスポット情報もご覧ください。加助惜別の岩
伊織霊水前小公園
松本市「水と緑の空間整備事業」で整備されました。
2018年3月全面改訂版として新たな「まつもと水巡りマップ」を作りました。
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