廃仏毀釈の危機の中廃寺の施設を移築した今井地区のお寺を訪ねて①正覚院
松本市の南西エリアにある今井地区は、りんごの産地として有名です。市内でも有数な農業地帯です。
昭和29年(1954年)8月1日に東筑摩郡より松本市へ編入しました。
今回は、「まつもと文化遺産保存活用協議会」にて今井の2か所のお寺を訪れました。
明治初期廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる、近隣の諸寺の諸施設が崩壊される危機の中、その施設を譲り受け地域に移し活用しています。
正覚院
境内には松本市指定等文化財の「観音堂」があります。
当日特別に中に入らせて頂きました。
観音堂は廃仏毀釈で廃寺になった「波田の若澤寺(にゃくたくじ)」の金堂(薬師堂)が移築されました。
木造平屋建・寄棟造・瓦葺で、建築年代は江戸時代中期と推測されます。
観音堂の中には、やはり廃寺になった「浅間真観寺」の「聖観音立像」もあります。
聖観音立像は写真中央の奥にありました。観音堂を建て替える時にそのまま位置を変えずにいたため見えなくなっています。
ご住職様が、古い写真を探してくださり見ることが出来ました。
境内には同じく廃仏毀釈で廃寺になった「蟻ケ崎の正麟寺」から移築された鐘楼兼山門
若澤寺から移築された「庫裡玄関」
玄関は、明治の初めに今井村の役場が出来た時に使用され、その後農協の事務所に使われ昭和46年にこの書院に移築されました。
なぜ今井には、たくさん廃仏毀釈になった廃寺のものが移築されているのでしょうか。
お話を伺うとかつて今井は「天領」であり、かなり昔から田が開けていて豊かな地区だったことに由来するようです。
「若澤寺」跡取材ブログもご覧ください。