お宝発見・・・四賀の里
四賀会田宿付近を歩いてきました。
四賀は、善光寺街道(北国西脇往還)・延喜官道・江戸道などの街道を中心に栄えた地域です。 地区内に3つの宿場を擁していますが、会田宿は、鎌倉時代にこの地方を領した海野会田氏の城下町から発達した町です。 天領であった四賀は、明治の廃仏毀釈の憂き目に遭うことがなく古い寺院や観音像も壊される事なく残っています。 中でも石仏は保存状態がよく、文字や顔がはっきりと識別できます。 「百体観音はその中に自分の知っている顔を見つけることができる。」と昔の人はいいます。 皆さんも観音像に懐かしい誰かの顔を探してみてください。
<散策マップ>
1、馬頭観音
旧善光寺街道の岩井堂にある馬頭観音像です。街道の中でも一番大きく、彫りも良く美しい馬頭観音像です。この馬頭様のある場所は『立峠』に向かう善光寺街道の中でも最大の難所といわれるところです。 歩かなければ、見ることのできない観音様です。 【岩井堂】
2、木造千手観音坐像
信濃観音霊場巡り三十三番中、第二十番の札所です。 ちょっと急な坂道なので、竹の杖がありました。この地域の方々が用意してくださったものです。心遣いに感謝。助かりました。
堂内、正面の暗い空殿に祀られた千手観音様は珍しい坐像のお姿です。坐像の為、手が普通では見られないところについています。 【岩井堂】
3、観音山周辺石造物群
観音堂周辺に点在している石仏です。
ここには、県内でも珍しい11体の磨崖仏があります。中でも、地蔵尊は高さ210cm、大黒天は高さ160cmと大きく貴重なものです。 〈磨崖仏・・・自然の岩肌を利用し、その岩面に彫られた仏。〉 【岩井堂】
石炭発掘の穴だそうです。この炭坑は明治末年には年間7000tを産し、ロープウエイで西条駅へ運搬していました。深さはわかりませんが、細く続いていてびっくりです。隆起した地層も見え、不思議な光景です。
【岩井堂】
4、芭蕉句碑
芭蕉は、元禄元年(1688)にこの街道を通り『更科紀行』を著しました。この句碑は嘉永2年(1849)長越の松翁亭中村一翠が建立しました。書は江戸の著名な俳人櫻井梅室によるものです。 【岩井堂】
今回の『てくてく』を案内してくださった支所の遠藤さんは、この地域には宝がいっぱいです。」とおっしゃっていました。歩いてみて同感です。
5、善光寺常夜燈
善光寺街道会田宿の北のはずれにあります。善光寺参詣の旅人や町内の人々の安全を願って建立されました。石積みもよく、ほとんど完全な状態で保存されています。明治時代までは地元の人が灯明を上げていたそうです。 【本町】
6、藤池百体観音
西国・秩父・坂東の3巡礼の百体全部が現存しています。江戸時代に流行った札所巡りに行けない人々が身近な場所に建立して代わりとしたものです。山の上にある為、参道も趣があります。 【藤池】
7、横川の大イチョウ
樹高25m、目通り幹囲5,34m。樹勢も良く、均整のとれた枝ぶりの美しいイチョウの大木です。 【横川】
〈参照・旧四賀村発行 四賀の里〉 見所いっぱい・お宝いっぱいの四賀の里をもっと歩いていきたいと思っています。 【市民記者 塩原・西森・三沢】