廃仏毀釈の危機の中廃寺の施設を移築した今井地区のお寺を訪ねて②宝輪寺
松本市の南西エリアにある今井地区は、りんごの産地として有名です。市内でも有数な農業地帯です。
昭和29年(1954年)8月1日に東筑摩郡より松本市へ編入しました。
今回は、「まつもと文化遺産保存活用協議会」にて今井の2か所のお寺を訪れました。
明治初期廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる、近隣の諸寺の諸施設が崩壊される危機の中、その施設を譲り受け地域に移し活用しています。
松本市今井地区を訪ねた「廃仏毀釈の宝庫今井エリアのお寺を訪ねて」の2回目です。
今井兼平が開基した宝輪寺
松本市上今井にあり、開基を今井四郎兼平とする真言宗の寺です。
木で出来た年代を感じる門を抜けて中に入ります。
編照殿(観音堂)
廃仏毀釈になった「本山長久寺」より移築されました。
今回見学することは出来ませんでしたが、遍照殿の中に廃仏毀釈になった「浅間大音寺」にあった「千手観音立像」が置かれているそうです。
弘法大師信仰
開山堂には、不動明王、普賢菩薩を従え、弘法大師様が中央に祀られています。
天保五年(1834年)、松本平に四国八十八ヶ所零場を開創し、印施寺として天地長久・滅罪生善の巨益を施しました。
明治初年(1868年)、四国霊場各寺院より土砂加持されたお砂が分尊され、明治四十年頃、四国六十一番香園寺修行僧が当寺を訪れ、大師講を作り、毎月二十一日を縁日としました。平成五年(1993年)にはお砂を境内に移し、四国霊場寺院のご本尊を勧請し、石仏霊場として大師信仰が多くの人に伝えられています。(公式サイトより)
鐘楼
廃仏毀釈になった「北小野真光寺」より移築した鐘楼で、江戸時代中期のものと見られます。
奉安殿
第二次大戦前・戦中,学校で御真影や教育勅語などを保管するために設けた特別な建物
なぜ今井には、たくさん廃仏毀釈になった廃寺のものが移築されているのでしょうか。
お話を伺うとかつて今井は「天領」であり、かなり昔から田が開けていて豊かな地区だったことに由来するようです。
春は桜五月頃にはボタンが有名なお寺です。
その頃再訪したいと思います。