国宝松本城土塁跡 西総堀土塁公園/東総掘残存土塁/北総掘残存土塁
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西総堀土塁公園
松本城築城時の残存土塁が残された場所に史跡公園として「西総掘土塁公園」として整備されました。
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位置を古地図を見ると★のついた場所になります。
国宝松本城公式サイトにある古地図をもらいました。
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西にあった総堀の土塁がたまたま残されていて、発掘調査の後整備をしたものです。土塁の底の部分は17メートル、高さは3.5メートル、その上に2.5メートルくらいの塀が立てられていました。
この土塁の西側は堀、東側は武士の住宅です。発掘した時の様子や、土塁の説明がパネルになっています。(国宝松本城公式サイトより)
現代に残された土塁
公園内に設置されたパネルを紹介します。
西総掘土塁公園は、付近の市民により守られてきた土塁を平成21年度に史跡整備公園として整備されました。
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そもそも土塁って何だろう?
城の一番外側の総堀を掘った土を内側に盛り上げて高い土の土手を造りました。それを土塁(どるい)といいます。江戸時代には三の丸のまわりを土塁がぐるりと周っていました。(国宝松本城公式サイトより)
土塁は、松本城の内側(郭内)と外側(郭外)を分ける役割を持っていました。
戦国時代や江戸時代の人たちは、堀と土塁が周囲を取り囲むことで、守りを固めて的の収入を防ぎ、また見た目からも打ちと外を区別していたのです。
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総掘抗列
杭列とは、武家屋敷跡や土塁堀裾部に敵の侵入を防ぐ防御用のために作られた。
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市内に残る土塁
明治時代になってこの土塁は崩されて、堀を埋めるのに使われたり平にならされたりして、ほとんど無くなってしまいました。
現在、土塁の跡が残っているところは、西堀と北馬場と大柳町(おおやなぎまち)(総堀の土塁)と片端町(かたはまち)と東町(捨堀の土塁)だけで、それも一部分です。(国宝松本城公式サイトより)
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3北総掘残存土塁
松本市役所職員駐車場の南側の、小高い丘のような部分。土地所有者が来客用の建物を土塁上に建築したことで残っています。
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知らないとただの斜面にしか見えません。
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片端総掘り
唯一現存する総掘です。
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2東総掘残存土塁
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松本市役所東庁舎の駐車場の裏にあります。
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松本城総堀の両側より防御用の杭列が発見された極めて貴重な歴史遺構
昭和 45 年追加指定された松本城総堀の両側から防御用の杭列が発見された。この遺構の発見は
米沢城の事例に次ぐもので、「大坂冬之陣図屏風」に描かれ大坂城の堀の防御用の杭と同じ役割を
果たしていたものと推定されている。極めて貴重な歴史遺構である。*詳細は、こちらのページをご覧ください。
松本城本丸庭園には、1番多く残っているそうです。
機会があれば撮影してみたいと思います。