古地図で巡る橋さんぽ 後半 大橋~千歳橋 女鳥羽川再発見プロジェクト連続講座フィールドワーク
7月9日(土)晴天
女鳥羽川再発見プロジェクト連続講座 女鳥羽川を江戸~明治~大正の古地図、昭和の地図から読み取りながら学ぶフィールドワーク
「古地図で巡る橋さんぽ」参加しました。
前半「古地図で巡る橋さんぽ 前半 清水橋~鍛冶橋 女鳥羽川再発見プロジェクト連続講座フィールドワーク」に続き後半もお読みください。
⑤大橋 【昭和37年3月竣工】
明治10年前後の調査:幅員2間(1間5尺とする記述も)、長9間、木製
現在の橋は、昭和37年に竣工
善光寺街道街道物語(城下町松本の街道)、親町三町
No.2の大きな橋 ・・・江戸時代には幅が二間で2番目に大きな橋
水音を楽しむ・・・・・清々しいせせらぎの音(その1)
女鳥羽川説明版 ⑯鎮神社の由来
鎮神社
鎮神社
鎮神社 由緒
紙漉川
女鳥羽川に合流する川の流れを道路のペイブメントで示す。
大橋から西側の眺め
昔は左岸に道路はなく、裏小路だった
道路拡幅後の家の屋根
家の屋根が半分に切られた後から、家が半分になったことがわかります。
これは、川幅・道路の拡幅工事のためでしょうか。
⑦ 一ツ橋 【平成13年12月竣工】 明治10年前後の調査:幅1間1尺5寸、長9間、木製
一ツ橋の名前の由来について
念来寺橋や鍛冶橋は近く事物(寺院、通りの名)からの命名と推測できます。 一ツ橋は近くに一ツ橋小路がありますが、これは道のほうが後です。東京の一ツ橋は、平川(いまの日本橋川)と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり、合流点を表す「一つ」がこの地点に架かる橋の名称、さらにこの付近の地名になったようです。松本の一ツ橋は付近に何かの合流点であるものが見当たらず命名の根拠は不明です。
・こだわりのデザイン・・ガス燈、アルコーブ
市役所のお膝元・・・・水害の写真、水害の歴史(昭和34年)→改修、橋の橋脚なくす
・屈指の繁華街・・・・・ナワテの松並木〜街並み形成と発展、新奇好みの戦前の上土、看板建築群
女鳥羽川の案内板・・・案内板で女鳥羽川を知ろう!講師 高柳さん
田川との合流点付近から、ここ大橋まで16の説明板が設置されています。女鳥羽川の自然に関することから松本の町の文化まで様々な事柄があります。
例えば三島由紀夫の短編「橋づくし」は「金沢の七つ橋めぐり」や近松門左衛門の「心中天網島(しんじゅう てんの あみじま)」の「名ごりの橋づくし」(12の橋を渡る)をヒントに書かれたそうです。
松本にも橋にまつわる物語や願掛けの文化があると、橋巡りも更に味わい深いものになるでしょう。
映画のロケ地
女鳥羽川にかかる橋で多くの映画やドラマのロケがおこなわれました。
最近では、2022年5月公開された「流浪の月」では、一ツ橋周辺での撮影が多かったです。
こちらの記事もご覧ください。映画「流浪の月」観て来ました。ロケ地おさらい
女鳥羽川にかかる一ツ橋から見る夕景 映画ではここに厚い雲がかかり雲が切れた瞬間に三日月が顔を出していたのが、美しかったです。
撮影のホン・ギョンピョさんの感性が冴えた映像美でした。
ロケ地マップより抜粋
ホン・ギョンピョ撮影監督「松本は、わたしにとってとても印象的な風景を持つ場所です。空、雲、美しいスカイライン。高い建物がない分、空がずっとよく見えました。マジックアワーが韓国と比べてとても長く、驚くほどに美しかったので、「流浪の月」ではその時間の撮影を特に多く行いました。大変でしたが、その時間を使って多くの美しい映像を撮ることができました。
外から来た人の目から見た新たな松本を再確認出来るお話しです。
女鳥羽川説明版 ⑮女鳥羽川にすむ魚
一ツ橋小路
江戸時代の小路(二十四小路)です。
⑧幸橋(さいわいばし) 【昭和39年11月竣工】 明治になって新しく作った橋。 現在のものは、昭和39年竣工のもの。
幸橋では、水辺のマルシェ、フェスタ松本などのイベントもおこなわれています。映画「orange」でも重要なシーンで使われました。
幸橋からの風景
幸橋の下 河床で休憩・・・・・・河床で女鳥羽川を真近に体験
幸橋から一ツ橋まで「草を見て歩く」フィールドワーク」の記事もご覧ください。
御幸橋
明治に新築した橋・・・明治天皇の御行幸の際作られた橋です。
四柱神社・・・・・・・明治に堀を埋め立てて創建、ナワテが参道
石造のメガネ橋
9 中の橋 【昭和38年4月竣工】
昭和34年洪水以降の改修の時に城下町を意識して太鼓橋のデザインをした。
中の橋でも多くの映画やテレビドラマのロケがありました。「神様のカルテ」「ジェニファ 涙石の恋」(2003年)、古くはテレビドラマ「白線流し」(1996年)など
東山の屈指のビューポイントを楽しむ
新小路、裏小路・・・・城下町の物語、昭和の拡幅による道路建設とまちづくり
⑩ 緑橋 総堀の跡 これはベンチ?いいえ橋です! トマソン的存在の橋→総堀図
・堀の埋め立ての歴史・・埋め立てのプロセス図
⑪ 千歳橋 明治10年前後の調査:幅4間2尺、長8間2尺(9間?)、石造(明治9年完成)
現在の橋は、平成5年竣工
大手橋から千歳橋へ名前の変更
松本の文明開化の地・・江戸時代も武家地と町人地の境目となる場所で街の中心地だったが、立石清重などによる近代的施設群や開智学校、ガス燈(明治のはじめはランプ灯)が立ち並んだ文明開化した松本の中心地でもあった。電気記念の碑
・明治に架け替え・・・・明治9年にアーチ型の石造の橋となった千歳橋、設計は河野百寿。東京の万世橋に習って、千歳橋と名付けられたと『旧松本市史』には書いてあります(万の世から少しへりくだって千の歳の橋?)
⑪女鳥羽川説明版「女鳥羽川」の名前の由来
女鳥羽川再発見プロジェクト講座では、自転車で川を巡る、草を見て歩く、今回は、「古地図で巡る橋さんぽ」いろんな角度から女鳥羽川を再発見していく連続講座です。
女鳥羽川再発見プロジェクト連続講座は、こちらからご覧ください