梓水神社

2018.1.9
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梓水神社」は、乗鞍高原にある、歴史と由緒のある神社です。
               
「梓水神社」は、乗鞍高原の下部「宮の原」地区にある、とても歴史のある
荘厳な神社です。場所は大野川小中学校のスグ下に、小さな石の鳥居がある
ので、スグに分かります。逸話や伝説や日本の歴史が好きな方はぜひ訪れて
欲しい、とても古く歴史のある神社なのです!・・・。
              
               
26755332_1079487785524137_508399160_n乗鞍高原にある「梓水神社」は、千年も昔の平安時代に編纂された歴史書である
「日本三代実録」に記されている「梓川神社」と同じ神社であるとされている神社
なのです。 梓川の源流の地である乗鞍高原の地域に鎮座するこの「梓水神社」が、
前宮か奥社のどちらかであったことには、間違いないとされています。

今からおよそ1150年程前にあたる平安時代の貞観9年(867年)の日本初期の書物
「日本三代実録」に、この「梓水神社」は「従五位下」という「位」を、朝廷から
授かったとの実録が記されている記事のがあるのです!! 1150年前となると、
他には長野県内では、穂高町にある有名な「穂高神社」「戸隠神社」ぐらいしかなく、
それほどの大古の昔からの歴史があることになるのです!!
                      
推論ではありますが、乗鞍高原のある地域は「安曇村」だったところです。
安曇郡や安曇村という地域は、「安曇族」という弥生時代以前に北九州にて
海人として活躍をして、倭国(日本)を創ったと言われている海人族の種族
なのです! そして、その「安曇族」が移り住んできて創った地域が、この
「安曇地域」らしいのです!・・・。なので、もしかしたらこの「梓水神社」も、
穂高神社と同じように「安曇族」によって建てられたのかも知れません・・・。
                   
                   
26696304_1079487788857470_1567626707_n道路沿いにある最初の石の鳥居をくぐって、曲がりくねった参道を少し入って
いくと、この画像の鳥居が出てきます。この先は石段があり、社殿は高台の上
にあります。

「梓水神社」の境内の一帯にある大地は、その昔は多くの池がある湿地帯の
小高い丘だったので、「ここの水をもらって散布すると、よく作物ができる」
と言われたり、昔は「雨乞い祭り」などが行われるなど、水にかかわる一種の
信仰の地とされていたようです・・・。

現在この「梓水神社」へ行くと、そのようすが良く分かるような気がします。
梓水神社の本宮社は、この石造りの階段を登り切った高台の一番上に建て
られているのです。やはり水の通り道を避けて少し高台の上に建てられた
のでしょうか?・・・。
              
                   
26647859_1079487792190803_657216776_n参道の石造りの階段を上から見た画像です。ここはとても荘厳な雰囲気が
あります。
             
            
26648515_1079487795524136_2069952096_nそして、階段を登りきると、本宮社の社殿があります。とても古い社殿なの
ですが、どこか荘厳な雰囲気をたたえています。
                         
そして「梓水神社」の祭神は、諏訪大社と同じ信濃の国を創ったとされている
建御名方神(タケミナカタノカミ)」という神様です。この「建御名方神」は、
「古事記」や「日本書紀」に出てくる神様で、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」
の孫である「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」の天孫降臨に先立ち、「武甕槌命」と
言う神様が「大国主命」の国譲りに反対して「武甕槌命」に相撲を挑むのですが、
負けてしまい、信濃の国(現在の諏訪)まで追放されて来たようです。そして、
それ以後は諏訪から他の土地へ出ない事を、天津神の命に従うことを誓った
とされているようです。なので信濃の国を創ったのは、ほぼ「建御名方神」と
されていて、長野県の神社にはどこもこの「建御名方神」が祀られているの
です。 なので、「梓水神社」の祭神も「建御名方神」となっているのです。
                        
この他にも、信濃川の源流の1つとされている乗鞍高原は、分水嶺としての
土地なので、この「水の神様」=「瀬織津姫(セオリツヒメ)」が乗鞍龍神伝説
の龍神様の正体では?!という説もあります。 「瀬織津姫」は水の神様で
瀧神、川神とされているようです。そして九州では「海の神」ともされている
ようです!! この九州が元だという話も、この安曇地域を創ったとされて
いる「安曇族」の元々が九州の福岡市だと言う話と繋がります。「瀬織津姫」の
名前は「古事記」、「日本書紀」などの代表的な日本古代書物には出てきませんが
「倭姫命世記」、「天照巫伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記」「中臣祓訓解」などの
書物では、「伊勢神宮内宮別宮荒祭宮」の祭神の別名が、「瀬織津姫」として
出てくるらしいです・・・。
               
                    
26638445_1079487782190804_393357494_nそしてなんと言っても、この「梓水神社」は、拝殿の紅梁や脇障子の彫刻が、
とても素晴らしいのです! この本宮社の「龍」の彫刻の画像をご覧下さい!
これは1本の木から掘り出してこのように彫刻する掘り方で、後から彫刻
だけを付け足したのではないのです!、宮大工的には、まさに芸術的な彫刻
らしいです! これは「井波彫刻」という掘り方らしいです。井波彫刻師は
木彫で名高い富山県井波町(現、南砺市)の掘り方らしく、このように全国から
依頼を受け、各地にその芸術を残しているらしいです。
           
              
26694094_1079487772190805_1993748456_n梓水神社の社殿の裏側には、古い鳥居があります。これは、この神社でも
一番古い鳥居らしく、この梓水神社の社殿と乗鞍岳山頂を結ぶ鳥居らしい
です! なので、鳥居の向こう側の方向にはちゃんと乗鞍岳剣ヶ峰の山頂
が見えます。
                  
乗鞍高原のある松本市周辺の「安曇地域」を創ったかも知れない「安曇族」の
「安曇」は、海の神様「綿津見神(ワタツミノカミ)」が→「海人津見(あまつみ)」
→「安曇(アヅミ)」へと転訛したものらしいです。そして、「安曇」の名前は
日本最古の歴史書「日本書紀」の応神天皇の項に「海人の宗に任じられた」と
記されていて、「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金折命
の子孫なり」など記されているのです! 日本最古の書物である「古事記」に、
「安曇」の文字が記されているのです!
                   
弥生時代以前に活躍した海人族「安曇族」は、その後全国に移住していきます。
その場所は、阿曇、安曇、厚見、厚海、渥美、安積、安住、などの地名となり、現在
に残っているようです! その中でも特にこの長野県の旧安曇村地域には、
安曇族を祀った「穂高神社」や、この「梓水神社」などがあり、内陸部で
あるにも関わらず、例大祭は「御船神事」と言われていて、海人族の名残で
ある大きな船形の山車が登場するのです! なので、この乗鞍高原を含む
安曇郡や旧安曇村などのこの地域が「安曇族」の本拠地であったのは間違い
ないようです!日本の歴史から見てもとても由緒と歴史のある地なのです。
                             
日本の歴史の原点である邪馬台国や神話の時代に活躍し、日本の初期の
書物にもたくさん登場する「安曇族」! その安曇族のその後の本拠地で
あったこの旧安曇村、そして乗鞍高原にある「梓水神社」なのです!!
「梓水神社」は、そんな「安曇族」の名残りを、現在の人達に伝える貴重な
パワースポットな場所なのです!
(安曇族が安曇地域を創ったとされている説はありますが、梓水神社を
安曇族が建てたかもというのは推論の域を越えませんが・・・)
                     
                      
26648493_1079487798857469_837050337_n最後に、「梓水神社」の横には乗鞍高原の「大野川小中学校」があり、
その大野川小中学校の前には「御池」という小さな池があります・・・。
この「御池」の真ん中に小さな祠が建っているのです。これは乗鞍高原
の「龍神伝説」の龍の心臓らしいです!!
                          
乗鞍龍神伝説」とは、乗鞍岳の山には龍神が住んでいるというもので、
頭は乗鞍岳剣ヶ峰山頂にある本宮、そして心臓がこの御池の真ん中に建つ
祠、そして胴体と尻尾は松本平を経由して諏訪湖にまで続いているという
ものです。この龍神伝説は「諏訪大社」にも全く同じものがあり、諏訪
大社側では、諏訪大社が頭で乗鞍岳山頂が尻尾らしいですが、同じ伝説
が乗鞍高原と諏訪大社にあるというのも、とても面白いです!
                      
                     
こんな由緒と歴史と、伝説と逸話がたくさん詰まった「梓水神社」へ
参拝に、そして歴史を辿りに行って見て下さい。