まつもと文化遺産「四ヶ堰円筒分水」

2022.12.18
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まつもと文化遺産「四ヶ堰円筒分水」

令和4年11月4日 まつもと文化遺産に認定された「四ヶ堰と芳川地区の生活を支えた用水路(堰)」を10月に視察に行った記録です。

まつもと文化遺産 松本市HPより
認定年月日:令和4年11月4日

保存活用団体:芳川歴史研究会

構成する文化財(関連文化財群)
分水施設:四ヶ堰円筒分水、村井堰、小屋堰、二区堰
二区堰分水、野溝堰、平田堰
:水神碑、百瀬三七翁頌徳碑
芳川地区公民館にてお話を伺った後、公民館周辺の水路などを見学しました。

お話を伺ったのは、芳川歴史研究会 会長の村田さんと芳川地区公民館長の柏澤さん

説明

芳川とは

奈良・平安時代から集落形成が始まりました。東に田川、西に奈良井川(江戸時代までは木曽川と呼ばれていました)が流れていますが、湧水に乏しく、8メートルほど掘らないと地下水も利用できません。2つの川は、しばしば氾濫したので、人が住むようになったのはある程度治水技術が進んでからです。

芳川は、松本平の南部に位置して、昔から交通の便が良いところです。村井郡は、奈良平安の昔に覚志の驛(かかしのうまや)が置かれた有力な候補地と言われています。驛というのじゃ、文字通り馬が沢山いるという意味です。(冊子 わたしたちの芳川より抜粋)

 

芳川とは

芳川地区は、塩尻市に接する松本市南部に位置し、東側の田川と西側の奈良井川に挟まれた、平坦な土地に住宅街と商工業、農業地帯が混在する地域です。村井町村、小屋村、野溝村、平田村が合併した旧芳川村域ほぼ一致しており、南部に村井町、小屋、長丘町、北原町の町会が、北部には野溝、平田、美芳町、木工の町会が位置しています。地区の中央には、南北に国道19号とJR篠ノ井線が貫く交通の要衝であり、塩尻市と隣接する松本市の南の玄関口となっています。(松本市HPより)

芳川地区公民館前 「二区堰分水場」

四ヶ堰の円筒分水から流れてきた二区堰の水はここで野溝堰と平田堰に分水される。現在は下流の作付け面積の比率で分水されている。(芳川歴史マップより)

今回知識不足で、芳川という地名は、現在は住所には実在していないことを初めて知りました。
明治22年明治の大合併で村井町村、小屋村、野溝村、平田村が合併して芳川村が誕生しました。

芳川の名は「四ヶ堰用水により、4つの村が今後ますます芳しくなる」ようにと想いが込められた名付けられたそうです。

その後昭和29年8月に松本市と合併しました。
現在では、芳川地区の住居表記は「村井町」「小屋」「野溝」「平田」「野溝木工」となっていて住居表示からは「芳川の文字」が消えてしまいました。(冊子「わたしたちの芳川」より抜粋)

芳川地区の地図

四ヶ堰に移動

塩尻北インター隣にあり所在地の住所は、塩尻市です。

四ヶ堰

流れてきた水が青い装置のところでゴミなど取り除からて、円筒の真ん中に出て、水が均等に分かれるように仕掛けられています。水利権を持っている4地区 村井、小屋、野溝、平田に分配されます。

最近では、村井が田んぼが少なくなりあまり必要がなくなったそうです。

 

記念碑

当日大雨のため写真が鮮明に撮れませんでした。

今まで知らなかった芳川地区の水の歴史を知ることが出来てとても興味深い視察でした。