正麟寺・川島芳子の墓
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終戦記念日やお盆が過ぎた頃、正麟寺にある川島芳子の墓に行きました。
正麟寺は蟻ヶ崎にある曹洞宗の禅寺です。
JR北松本駅からも松本城からも徒歩15分ほどですが、やや高台にあるため、思ったより遠く感じるかもしれません。
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鐘楼
川島芳子は清朝の皇族第10代粛親王愛新覚羅 善耆(あいしんかくら ぜんき)の第十四王女。本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)といそうです。(ウィキペディアより)
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当時の国際情勢や社会状況は複雑なので詳細は省略しますが、1915年ころ川島浪速の養女となり、浅間温泉の川島家から在籍した松本高等女学校(現蟻ヶ崎高校)へは馬で通学したそうです。
その後、満州事変から太平洋戦争まで、工作員として諜報活動をした咎で、戦後中国で逮捕され1948年に処刑されました。
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寺の入り口に案内表示がありますが、場所を示す案内がなく、なかなか見つかりません。高低差のある敷地の中をウロウロしました。夏の暑い午後でした。
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やっと見つけるた川島家の墓石は大きく立派なものでした。
静かに手を合わせ、激動の時代を生きた芳子の生涯に思いを馳せました。
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ここは芳子が通った高校にもほど近い場所です。
少し高いところから望む市街地の風景は、長い映画のエンディングのようでした。
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松本城、旧開智学校などの観光エリアからは、やや離れていますが、地元の人に愛されるレストランや静かな神社など、ディープな松本を味わえます。