文化村のあったところ
旧開智学校の前にある案内看板です。平成16年(2004年)に制作されたもののようです。 当時どんなスポットが推奨されているのかがわかる興味深いものです。
その地図に「文化村」が記載されていました。
文化村は、文化学院の創立者西村伊作(1884-1963)が提案し、その考え方に賛同する人々によって建設された住宅群です。
松本出身のエッセイスト熊井明子(1940-)は著書で文化村を懐かしく回想しています。
「アカシアが白くかおる川辺を過ぎて、リボンのような小道を行くと、その奥に小さな広場があって、まわりに古びた家が七軒、花弁のようにならんでいます。そこが”文化村”、私が育った所です。」 エッセイ集「私の部屋のポプリ」河出書房新社刊より
高橋家住宅のあたりから中央図書館方向に進み、東大門沢川沿いの道を登って行きます。
しばらく行くと視界が開け、2007年まで測候所があった場所が沢村一丁目公園として整備されています。
そこから北側の狭い道の先に、文化村跡地の表示がありました。
このあたりは南向き斜面の高台で東山方面がよく見えます。行き止まりの道路を囲うように数軒の家があり、当時を彷彿させます。
江戸期の建物や町並、道などと同様に、明治以降の人々の記憶も大切な遺産だと感じました。