OMFオペラ「フィガロの結婚」の指揮者 沖澤のどかさん

2022.8.15
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OMFオペラ「フィガロの結婚」の指揮者 沖澤のどかさん

8月上旬からOMFオペラのリハーサルに入っている 指揮者の沖澤のどかさんに
お話を伺いました。(抜粋)

Q.オファーを受けたときのお気持ちを教えてください。
A.SOFという大舞台で、素晴らしいキャスト陣と共に演奏できるということは、とても夢のようなお話だと思います。同時に恐怖心も少しありました。

Q.8月初旬からリハーサルを始められて十日ほど経ちましたが、今の感想や手ごたえがあればお聞かせください。
A.リハーサル初日から歌手のみなさんのエネルギーと音楽性、声そのものの素晴らしさに圧倒されました。手探りになるような時間もなくすごくいい勢いがあり、このまま本番までいけるといいと思っています。演出チームともコミュニケーションを密にとっており、音楽と演出がお互いにいい影響を受けながら、毎日すこしずつ舞台が変わってきています。本番までどうなるかまだわからない楽しみもあり、けれども間違いなく素晴らしい舞台になるだろうという確信を持っています。

Q.「フィガロの結婚」という作品に対する思いを教えてください。
A.どんな作曲家でもそうですけれど、モーツァルトの作品に対するアプローチでは特に、歌手・ドラマー・オーケストラにとってぴったりのテンポを、いかに指揮者が導くかが重要だと思っています。また、フレーズの方向性をどう出していくかも重要なのですが、それを読み取るにあたりテンポ感やレチタティーボからアリアにつながる勢いについてかなり時間をかけて勉強しました。
「フィガロの結婚」のストーリーに関して、当時の雰囲気や時代性、革命の盛り上がりが音楽そのものに強く影響していることはありませんが、歌手や演出家に説得力を持たせるための時代背景は必要だと考え、興味を持っていろいろな参考書を読んでみました。例えば2幕のフィナーレや4幕のフィナーレのように、長くて同じテンポがずっと続くような部分でたくさんのキャラクターたちが同時に歌う時、テンポを歌手ごとに変えるのではなく、すべてのドラマが成立するテンポを見つけるように、すべてが一日の物語として成立するように模索しました。これはベルリンでドレンコ先生から学んだことの一つです。アリアをすべて歌手のやりたいテンポで任せると、序曲から終幕までの流れのプロポーションが変わってしまうため、こちらのテンポで意地を張る部分もある程度ありました。

Q.観客のみなさんにはどういうところに着目して聞いていただきたいですか。
A.人間関係の機微でしょうか。このオペラはすごく美しい音楽の連続で、音楽が流れている間は身をまかせて楽しんでいただきたいのですが、一方でレチタティーボがとても面白い曲です。今回の歌手のみなさんはとても芸達者で、さらにそこが面白く仕上がっています。半面、面白さに隠されている人間関係のうまくいかなさや、最後はみんなで許しあい幸せで終わるけれども何かが引っかかるような…みなさんが人生で重要視している事柄によって変わるニュアンスが表現されています。それぞれが自分のドラマに思いを馳せ、ただただ綺麗事では終わらない何かを味わってもらえたらと思います。

Q.今回一緒に演奏をしてみて、SKOならではの表現を感じることはありますか。
A.初日の練習、序曲の音が出た瞬間に思ったことなのですが、きちんときれいに演奏するだけなら指揮者はいらないというような、実力の高いオーケストラです。よって、いかに一人ひとりの歌心をそのままに引き出すかが大事だと思いました。例えばこの曲では、縦を合わせるために2ndヴァイオリンやヴィオラが重要な内声を担っているのですが、その中でどうニュアンスやキャラクターを出すかは大切です。このオーケストラではお茶の子さいさい、朝飯前でやってのけるのですが。ベルリンで習っていた先生がモーツァルトのオペラで、1~2小節の表現がまったく別の場面でニュアンスを変えて再現されることを「小さな窓をたくさん開けていくんだよ」と表現しており、私はその教えを胸に刻んでいます。それをSKOのみなさんは何も言わずにできるので素晴らしいです。メロディーだけではなく内声やベース、管楽器のみなさんもすごく積極的に歌うので、こちらから「やってください」というのではなく「こういう方向性でいきましょう」という話が最初からできますし、自分が思いもよらなかった表現がそこにぴったりハマったりする面白さがあります。とにかく生き生きとしていて、モーツァルトの「即興性」を表現することができます。

Q.今回の演出は1939年のフランス映画の世界観を用いたものとお聞きしましたが、当時の社会思想やジェンダーの問題という観点から音楽作りをどう進められましたか。
A.「フィガロの結婚」は合唱の出番がとても少ないのですが、合唱の扱いがとても重要になってくると私は思っています。彼らは一般市民として登場し、伯爵を讃えたり夫人に花を送ったりするんですね。歌っている内容は「素晴らしい伯爵を讃えよう!」というものですが、伯爵は初夜権を復活させようとしており、その伯爵を陥れるためにフィガロが策略を練るという話です。フィガロは一般市民に打倒伯爵を持ちかけるわけですが、私はその中の6~7割は実際の事情を知らないと思うんです。フィガロの魅力・人柄に惹かれて集まり、「フィガロが言うなら面白そうだからやってみよう」くらいの気持ちでいるのではないか。実際、政権打倒を本当に掲げていた人もいれば、その時の空気感に流されていた人もいると思います。それは現在にも通用することで、例えば選挙で誰に投票するかを決めるとき、すべての政権を調べつくして投票する人よりはその時の流れに乗る人が多いでしょう。一般市民の流されやすさ、場を支配している空気をいかにフィガロが掴むのか。それが合唱を純朴に歌わせることによって立場がはっきりすると思います。話が進むにつれて伯爵に対する敵意を隠さなくなってきたりするところもあったりと、合唱のみなさんのちょっとした仕草が舞台の空気を作っているので、そういうところに注目してほしいと思います。

.松本の印象について教えてください。
.町のいたるところに、SKFの小さなTシャツや籏が飾られていて、とても歓迎されているなと毎日感じています。近所のコンビニに行くときに近所の方にフレンドリーに挨拶してもらったり、地元の和菓子屋さんがOMFと入った練り切りを作ってくださったり、おもてなしを受けているなと感じています。

会見の後、午後のリハーサルは続き、時々止めてはオーケストラメンバーとよりよい音楽づくりをしていました。