建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 第4章 ひとつ橋~正行寺入口
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10月17日・18日2日間 秋の工芸の五月「建築家と巡るみずのタイムトラベル」が開催されました。本来ならば、毎年5月に行われていますが今年はコロナ禍で中止となり、秋に行われることになりました。
今回はコロナ渦中に合わせテーマは「防災編」、松本城下での水害・火災・地震・疫病・飢饉などの記録を辿るタイムトラベルです。
3時間のツアーの予定が1時間オーバーの4時間になり内容も深いので5回に分けて投稿します。
その4回目です。
1回目の記事は、こちら2回目の記事は、こちら3回目の記事は、こちら
一ッ橋から見る女鳥羽川沿いの風景
川沿いに「鎮神社」があります。
江戸時代女鳥羽川の水害は、常に人々を苦しめていました。氾濫を鎮めるために「鎮神社」が造営されました。
鎮神社の由来
寛政6年(1794年)造営された鎮神社には、氾濫を防ぐ守護神「岡象能貴命」がまつられて近隣に親しまれ、東町三丁目町会で毎年7月1日に例祭が行われています。
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『松本城主たりし石川数正大いに心を傾け城要害の為、女鳥羽川の流路を変更堀鑿し水汲より大門沢へ流れを現在の通り直流させ流水による城下町氾濫の守護神としれ祭りしを当社の創立と言伝う』
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旧松本市役所を模して建てられた市営住宅です。以前この場所に市役所がありました。
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住宅の前に石碑が置かれています。
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下の写真が当時の風景です。
今に比べるとかなり土手が低く、すぐに水が溢れてもおかしくない高さです。(左上)
洪水で水が溢れている様子が写っています。(左下)
右上の写真は、洪水の後に市役所の前で炊き出しをしている光景のようです。
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大正ロマンの街 上土通り
堀の土を上げた所であったことから「上土」と名付けられました。
総掘りが埋め立てられた後、松本市役所をはじめ様々な施設が立ち並び、とても賑やかな通りとなり栄えました。
大正時代の面影が残る建物も3軒だけありそこから「大正ロマンのまち」として町おこしをしていましたが、全体にはその雰囲気はあまり味わえません。
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三峯神社
上土通りを北へ進んで行くとビルと駐車場の間にひっそりと「三峯神社」があります。
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備えられた案内看板を読むと明治37年に町内の有志により上土在住者の心の拠り所として三峯大神を勧請し、三峯神社として現在地に鎮座されました。
明治45年4月22日、下横田の正行寺付近から出火した火は、横田、東町、新町へとのび、さらに田町、西町をも襲って、実に1500余戸が焼け出されました。その火災から難をのがれようとした時に、不思議に現在地で火が止まりました。それ以来、町民はより一層「火災之神霊」として信仰を深くしております。
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松本城に4つある中では一番広い馬出し
国宝松本城公式サイトより文・画像を出典させて頂きました。
三の丸から外へ出る場所で、東門と馬出し(うまだし)がありました。東門がありその東には堀を渡る土橋が延び、その先が馬出しです。
門は櫓門で3間(約5.4メートル)×6間4尺(約12.1メートル)の規模、門の西には広場が設けられ、番所や井戸もありました。土橋の長さは18間(約32メートル)ありました。
その先にあった馬出しは、松本城に4つあった中では一番広いものでした。正面には土がもられ外から中が見通せないようになっていました。
出入り口は南と北にあり、北は堀を板橋で渡り、南は土橋で渡るようになっていました。北の橋をわたって右におれると東町の通りに通じます。この通りを「下馬出し(しもうまだし)」と言いました。
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裏町へ
正行寺入口
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明治45年4月 正行寺入口付近から出火 火は横田から東町まで広がり1500余戸が焼けだされた大火災でした。
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旧念来寺へ
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最終章「念来寺 鐘楼」へ続く・・
建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 第1章 松本市立博物館から松本信用金庫耐震補強の話まで
建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災遍 第2章 旧山崎歯科~信毎メディアガーデン
建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 第3章飯田町~中町はかり資料館裏まで
建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 最終章 旧念来寺鐘楼~ベラミ人形店
過去のタイムトラベルの記事もご覧ください。