北国西往還をゆく-1-【松本宿~刈谷原宿】
最初は松本を散歩しようと思っていたんです…。でも、気がついたら僕は旧四賀村のセブンイレブンで達成感に満たされながらジュースを飲んでいました…。
自転車:ランドナー(でも、MTBで行った方がいいです。)
所要時間:半日(宿場町では10m走っては写真撮ってました。)
コース:松本宿(本町・中町・東町)→岡田宿→刈谷原峠→刈谷原宿→セブンイレブン
セブンイレブンのあとは大人しく国道143号線を通って帰りました。気まぐれで向かってしまったので、刈谷原峠は不覚でした。
【北国西往還】
北国西往還は、善光寺街道、善光寺西街道とも呼ばれ、中山道洗馬宿(塩尻)より分岐して、同じく軽井沢あたりの追分宿で分岐した北国街道と善光寺宿で合流する脇往還(五街道以外の主要な道のこと。)でした。今回は14ある宿場町のうち三つの宿場町を回ってきました。
善光寺街道
洗馬宿⇒郷原宿⇒村井宿⇒松本宿⇒岡田宿⇒刈谷原宿⇒会田宿⇒
青柳宿⇒麻績宿⇒桑原宿⇒ 稲荷山宿⇒篠ノ井追分宿⇒丹波島宿⇒善光寺宿
あと、会田宿を自転車で回った記事もございます。
【宿場町】
宿場町のシステムをよく知らなかったので調べてみました。素人が調べましたので間違っていましたら、ゆるしてください。主なものを書きます。
⇒宿場:古代~江戸時代に整備された町場。五街道以外の主要道を往還と言う。
⇒問屋:人馬の継立等々を記録したりするところ
⇒本陣:武家や公家のお偉方専用の宿
⇒旅籠:一般旅行者の宿
⇒茶屋:団子が一串三文で売っていそうなところ
【松本宿】
松本は城下町という顔の他に、本町、中町、東町を中心に栄えた宿場町という一面もあります。この三つの町は「親町三町」と言いまして、栄えていたようです。
1本町
本町は本陣があった町でした。今はその面影も少なく、その一角に碑が建っている程度になっていました。
2中町
本町を北へ進み、「牛つなぎ石」を拝んで暫くすると中町です。昔から生活用品を売るお店が多かったようで、今でも大変賑わっている町です。
3東町
現在、国道143号線が通っていますが、旧街道は宝栄寺の所でクランクになっています。東町は三町の中で最も旅籠が多く、所々でその雰囲気が残っていました。
クランクは昔何かで読みましたが、宿場全体を見渡せないようにする防衛の為にわざと曲げていたと記憶しています。途中にある常法寺小路が素敵です。
【松本宿~岡田宿】
松本宿から岡田宿へは緩やかな坂を登って行く感じでした。距離にしておよそ5kmあるそうです。宿場と宿場の間の道は、詳しく説明するほどのものではないですが、所々、要所や興味のあるものがあったので写真を羅列させていただきます。
【岡田宿】
ここより善光寺街道と保福寺道が分岐していることと、松本宿より両街道の次なる宿場が難所(峠)を超えねばならなかった為、設けられた宿場町とのことでした。
本陣は跡のみが残っていて、当時の面影はありませんでした。
ただ、本陣跡の隣には旅籠の建物が残っていて、その大きさと卯建の立派さに身震いをしました。
【岡田宿~刈谷原宿】
岡田宿本陣跡の解説で次の宿場町へは「難所」と書いてあったにも関わらず、軽い気持ちで刈谷原峠に向かってしまいました。こちらも写真を羅列させていただきます。
1峠まで
刈谷原峠までは田んぼの中を通る感じです。ここが本当に街道だったのか??と、不安になるたびにうまい具合に道祖神や道しるべが立っています。昔の人もきっと、旅人が不安になり始める距離を心得て道祖神を置いて行ったのかなと思うと微笑ましく思いました。
2峠へ
道祖神の招きにあひて、迷わず進むことができました。峠はほとんど舗装はされていない道が続き、勾配もかなり急ですので覚悟が必要です。
僕は覚悟なく向かってしまいました。
それでも、登り続けます。すると、馬頭観音さんがちらほらと。もうすぐ峠のような感じがしました。
3峠
と、思ったらそこから思ったより進んで刈谷原峠です。標高920m。ここには昔、三軒の茶屋があったようで、井戸が残っていました。
4峠から
峠にあった看板にも書いてあったのですが、馬頭観音さんが多くいました。時々、舗装路になったかと思うと、すぐまた湿って滑りやすい未舗装路になりぬか喜びをさせてくれます。
【刈谷原宿】
峠越えに一時間半ほどかかりました。人里が見えてきましたら、そこが刈谷原宿です。
錦部小学校の前進のひとつであった刈谷原町玉成学校跡がありました。明治5年に開校したようです。
本陣は残っていませんでしたが、脇本陣の名残が残っていました。脇本陣は本陣に準ずるもので、高貴な方がうじゃうじゃ来たときに泊まれるようになっていました。刈谷原宿では問屋も兼ねていたようです。
【四賀】
刈谷原宿から下っていきますと、国道143号線にぶつかり、四賀の田んぼが一望できます。僕はセブンイレブンで一息を入れ、143号線を通って松本宿へ帰りました。
峠は結構大変でしたが、「街道」と言う事を意識して進んでいくと、蔵や道祖神や、道の形(枡形)、石垣やらが全てその名残なのだと気がついたり、連想できたりして面白いです。さらに、街の核がどこにあって広がって行ったかを意識したりするとまた違って松本が見れるような気がしました。気になる方はぜひ行ってみてはいかがでしょうか。
【市民記者 イシカワ】