古代遺跡が眠る古くて新しい村「新村」まつもとの文化遺産認定地区を歩く
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松本市では、3年前からまつもと文化遺産認定制度を作り、地域の人たちが地域の文化遺産を保存活用されている地域を「まつもとの文化遺産」として認定しています。令和3年度は、新村地区が認定されました。
市民が自分の住む地域に誇りを持ち、歴史や文化を活かしたまちづくりを進めるため、地域で保存活用されている関連文化財群(歴史的・地域的関連性に基づき、一定のまとまりを持つ複数の文化財)の中から基準を満たしたものを「まつもと文化遺産」として認定する制度を創設しました。
認定審査時は、コロナのため現地視察を見送りましたので、認定後の10月25日地元の方に案内して頂きました。
野麦街道と集落と集落を結ぶ里道 ~交通の要衝として発展を遂げたあたらしの郷~
今回は、下の地図のエリアを90分ほど歩きました。
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案内して頂いたのは、新村文化財保存会 会長の長岡氏 新村への熱い思いがよく伝わりました。ありがとうございました。
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出発は、新村公民館から
北新村 倉跡
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32 新村の道路元標
野麦街道と中村道との分岐点、元新村役場前に「新村 東筑摩郡道路元標」と刻まれた道路元標がある。新村の道路元標は対象11年(1922)に長野県の施策によって設備された。昭和5年(1930)まで新村役場はここにあった。
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北新西村には「かぎのて」が二つあり、島立三ノ宮の御柱の曳行には苦労したといわれています。
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松本藩嶋立組北新村高札場跡
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北の「かぎのて」に高札場跡地があり、そこに住古の面影を伝える常夜燈と文字碑の道祖神が建ちます。
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5 清浄院(しょうじょういん)
清浄院は明治3年(1870)頃の廃仏毀釈の難に遭い僧侶は帰農し、建物は売られた。この時、青面金剛像などの石仏5体も二つに割られた。堂の前庭には祐天の名号塔や、道路拡張などにより集められた馬頭観音が20体ある。
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小さなコンクリート製の庚申堂の中に明治初め法難にあった5体の青面金剛像が祀られています。5体のうち3体は修復されていますが、2体は頭部を欠きます。
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馬頭観音
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29 北村道(きたむらみち)
趣のある道です。
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35 北新のビャクシン(きたにいのびゃくしん)
松本市特別天然記念物に指定されている、高さ15m、目通り80cmの巨木、ヒノキ科。手入れ後、樹勢を増した。古くは西牧家の屋敷内、子神社(今は体釼社(たいけんしゃ))社地にあったもの。高札場跡からよく見える。
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学校横道を通り松本大学に向かいます。
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45 新村遺跡 松本大学
松本大学の建設に先立って平成12年(2000)に埋蔵文化財緊急発掘調査が行われ、竪穴住居跡48軒や堀立柱建物跡9棟などが検出された。今まで不明だった新村の古代が明らかになった。松本大学は、開学十周年の平成24年に新村地区文化財保存会の説明を受けてこの碑を建てた。
写真は、大学敷地内にある遺跡碑 撮影当日雨天のため石碑の文字が反射して読めませんでした。
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52 小野神社
小野神社の参道は約100m(1町=60間)と長い。この長さは条里制にかかわる長さ。この参道には古木と若木の桜が植えられ、花の時期には見事な花のトンネルとなる。木々の間に7対の石灯籠が並ぶ。鳥居の奥には天保3年(1832)の対の常夜灯が、玉垣の中にも13基の石灯籠がある。小野神社も岩崎神社同様、水の神、農耕の神、嵐の神などを祀り、後に小野神社を勧請した。
本当は、灯籠を見る予定でしたが、時間がなく今回は、残念ながら横を通り過ぎただけでした。
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47 物ぐさ太郎遺跡地
新村は昭和3年(1928)に「物ぐさ太郎遺跡地碑」を建て遺跡地を整備した。新村物ぐさ太郎保存会は、平成3年(1991)に洞沢今朝夫作の物ぐさ太郎像を設置し、折口信夫の歌碑を建てた。
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折口信夫歌碑
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物ぐさ太郎遺跡地横にある道祖神
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田園風景と電車
新村は、田園風景が広がり東山、西は北アルプス連邦を眺められとても美しい地域です。当日は雨のため景色を楽しむことが出来ずに残念でした。
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8 信入院
北信入院は三明山専称寺跡地に建つ。専称寺が安塚に移るとき境内にあった信入院や長養軒の寺中村の跡地には寛政11年(1799)に観音堂が建てられた。信入院境内に徳本と徳住の名号塔がある。
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道祖神 信入院横
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水路中村道
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松本市HP「まつもとの文化遺産」
野麦街道と集落と集落を結ぶ里道
~交通の要衝として発展を遂げたあたらしの郷~
ストーリー
松本市のほぼ中央に位置する新村地区は、梓川右岸の東に向かって下る緩やかな傾斜地に豊潤な水田が広がる田園地帯です。当地区は、中世には新村南方・北方に分かれていました。江戸時代の延宝2年(1674)に下新・北新・上新・東新・南新の5か村となり、明治7年(1874)に合併し、新村となりました。
野麦街道が集落を繋ぐように東西に走り、波田・安曇・奈川地区や飛騨国との人の往来や、食料品や生活必需品の輸送に重要な役割を果たしてきました。当地区はこの野麦街道を中心にして中世以降、交通の要衝として大きく発展しました。近代になると、大正時代に筑摩鉄道(現在のアルピコ交通)が開通し、新村駅を中心に栄えました。
地区内には、集落と集落を結ぶ里道が縦横に通り、その道は梓川を渡って、安曇地方へも続いていました。道祖神や馬頭観音などの石造物や小さな社が道筋にあり、そこでは観音講や数珠回し、さまざまなお祭りなど人々の祈りや娯楽の場が設けられ、今に続いています。水量豊かな水路や、工夫を凝らした分水工からは、広大な土地を水田へと変えていった先人の苦労が偲ばれます。集落内には蚕室・土蔵・本棟造りの家などが残されています。広々とした稲田とその向こうの山々を見るとき、新しの郷に住む喜びを感じます。
活動
新村地区に関わる文化財の調査、研究及び記録保存を行うとともに、保存整備と活用に取組みます。これまでの活動成果を基に、地域学習テキスト『ふるさと新村』を作成し、小中学校の歴史学習や住民向けの講演・講座、松本大学と連携したウォークラリーなどを開き、文化財に関心を持つ人を育てます。また道の清掃や、案内板・標柱の点検を行い、地区内の美化に努めます。地区に松本大学があるという特色を生かし交流を進めながら、若者たちに地区の特色や文化財を知ってもらい、関心を高めることにも努めていきます。
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過去のまつもと文化遺産の記事もご覧ください。