ぐるっと島立、ちょっと和田

2009.6.20
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【ごあいさつ】
こんにちはー。
今回は島立を回ってきましたよ。
僕はぶらぶら回って何かを偶然見つける散策が好きなのですが、地図を見て行ってみたい所を見つけてから行くってのも結構面白いです。
僕が新村地区で真っ先に行ってみたいと思ったのが、名前に惹かれて「御乳神社」でした。
でもそれだけじゃアレですし、コレってこともありますので、他にも気になったところを調べて【コース】の感じで回ってきたってわけです。
あと、松本は道祖神が何年か前の情報で370体位あるらしく、安曇野市に匹敵するほどの道祖神さんがたくさん住んでます。なので、「松本の道祖神」(松本市教育委員会/1993年)を図書館で借りて、事前に地図に書き込んで、回れそうなところは寄り道して来ました!
【コース】
1.犀川通線船着場⇒2.渚大神社⇒3.奈良井橋⇒4.荒井(清水ヶ)城跡⇒
5.荒井の道祖神さん⇒6.堀米の道祖神さん1⇒7.堀米の道祖神さん2⇒
8.浮世絵博物館⇒9.永田の道祖神さん⇒10.境の道祖神さん⇒
11.西善寺⇒12.栗林神社⇒13.了智上人の墓⇒
14.南栗の道祖神さん⇒15.乃木橋⇒
16.御乳神社!⇒17.松本城
島立マップ
0.ではでは出発

いつもどおり、松本駅を出発します。でも、いつもと違って今日は西へ西へ。女鳥羽川沿いの車両通行不可のガード下を通って行きます。くぐる時、ちょうど特急あずささんがお目見えでした。
1.犀川通線船着場
絵には当時の賑わいが描かれています ここに船着場があったとは!

女鳥羽川と田川の合流地点あたりに、犀川通線船着場跡があります。かつては、信州新町とを舟で結んでいて、さらには野麦街道、善光寺街道などなどの交通の要所にもなっていて活気にあふれていたそうです。旅人の安全を願って建てられた石尊大権現の石碑もあるそうです。

さてさて、渚1丁目の交差点を抜け野麦街道へ。
2.渚大神社
信濃の国を造ったって言っても、あの歌では無いですよ。 信濃の国は十州に境連ぬる国にして~♪あ、歌ってしまった。

奈良井大橋を渡らず南にそれると渚大神社があります。信濃の国を造ったのち、日本国土の守護神となった方が祀られています。
3.奈良井橋
木曾の茶臼山北壁を源流とし、梓川(犀川)に合流 奈良井川が梓川に合流すると犀川になるらしい

奈良井橋を渡ります。すると、
なむなむ これは気になるじゃないですか。地図には載って無かったです

荒井観音さんがいて、その先に、気になる看板。え?城?行ってみます。
4.荒井(清水ヶ)城跡
兵(つわもの)どもが 夢の跡!

本当に「跡」でした。松本城を築城した島立右近貞永も建てる前はここに住んでいたようです。
5. 荒井の道祖神さん

そして、その近くに道祖神がいます。さらっといますが、300年くらい前のもののようです。
6.堀米の道祖神さん(その1)

さらに、ちょっと進むとまた道祖神さん。男女二伸が手を握って仲よさそうにしてました。
7.堀米の道祖神さん(その2)
The Dosojin ムギーッ!!

野麦街道を横切り、松本インターチェンジの方へと向かいます。麦畑が色づいていました。「道祖神」と書かれた石碑もございます。
8.浮世絵博物館
改めて見るといろいろなものに感謝しなくちゃいけませんね。この水路のおかげで田んぼが潤ってたりするのだから RC造

高速道路をくぐり、立体的な水路の構造のすごさに感銘を受けつつ、進むと、日本浮世絵博物館。中には浮世絵の原画が並んでいて「へー!」と思いました。建物は篠原一男さんという有名な建築家が建てたものです。

上高地線を渡り、永田集落へと向かいます。この日は雲が少しあって残念でしたが、晴れた日に、北アルプスをバックに電車でも通ったら素敵だろうなと思いました。
9. 永田の道祖神さん

永田集落の化粧道祖神さん。弘化2年(1845年)のものです。なんと彼女(道祖神)、2度嫁入りしているようです!!嫁ぎ先は境集落と南栗集落とのこと。拝んでみたいではないですか!
(※道祖神が盗まれることを「嫁入り」と言うそうです。それを、少し面白く解釈してありますので悪しからずにお願いいたします。つまり永田の道祖神は二度盗まれて、今永田にあるのは三体目と言うことになるのかと思います。)
10.境の道祖神さん(永田さんとこの娘さん1度目の嫁入り)

文化2年(1805年)の道祖神さんです。永田から嫁いできて1度目の嫁入り。
11.西善寺
門の左側には西善寺 右には善光寺って書いてありました ずらーっ

その道祖神のお隣にあるのが、西善寺。松本三十三番札所の一つで、観音様が三十三体並んでいました。
12.栗林神社
樹齢三百年くらいだとか お昼寝するにはよさそうな場所

そろそろ折り返し地点です。帰る方向に進み始めます。境集落から東へ。高速道路近くにある栗林神社があります。三本松が有名だそうです。かつて千国街道が栗林神社の脇を通っていたそうで、その街道沿いにこの松が生えていたのだろう…とのことでした。(看板より)
13.了智上人の墓
了智上人 この脇にあるのが寄贈したやつでしょうか?

了智上人の墓。通りすがりにあったので、何の気無しに立ち寄って後で調べてみましたが、平安時代から鎌倉時代にかけての人気のある武士だったそうです。明治時代の乃木将軍は彼の子孫だとのことで、石塔を寄贈しているそうです。
14.南栗の道祖神さん

そして忘れかけたころに、永田さんとこの娘さん、二度目の嫁入り!お化粧をしていました。天保8年(1837年)のものです。小さくて分かりませんが、旦那さんは自慢げな顔をしておりました。
15.乃木橋
遠くから乃木橋 近くから乃木橋

気になる橋がありました。「乃木橋」です。さきほどの、了智上人に乃木将軍が寄贈した時と関係があるのでしょうか?
16.御乳神社
お母さんの名前は玉依毘売命 神武天皇の別名はカムヤマトイワレビコ!

そして、ついにやってきました。御乳神社。看板を見てみると、どうやら、神武天皇のお母さんが祀られているようでした。
17.松本城
夕日のお城
最後は夕暮れの松本城。ぐるっと島立をメインに回ってみましたが、一日かけて回るといろいろあるのに気がつかされました!下にも他に通り道にあった気になったものを載せてみます!
番外.気になったモノ
案内版
「右 和田ヲ経テ山形方面 前 南栗ヲ経テ神林方面 後 松本市ニ通ズ 左 笹部ヲ経テ出川方面」と書いてありました。

案内岩と言うべきか
「右 松本市ニ通ズ 左 野麦街道????島内村????糸魚川街道ニ通ズ」と書いてありました。
探してみるといろいろあるものですね。また、機会をみて違うところも回ってみたいと思います。

【市民記者 カミカワ イシカワ】