#マツモト建築芸術祭2 池上百竹亭 茶室⑯
マツモト建築芸術祭スポット2つ目は、「池上百竹亭 茶室」です。
旧司祭館から徒歩10分程 松本城の北道路沿いを挟んだ場所にあります。駐車場も前に数台停められます。
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明治23(1890)年に呉服卸商の長男として生まれた池上喜作の邸宅として、昭和33(1958)年に建てられた。日本の伝統を伝える和室と茶室、露地や竹林が醸し出す閑静な庭園は、自らも文化人として活躍した喜作が多くの俳人や歌人と交流を深めた場所だった。庭園内にある明治百年記念の句碑や寿塔は、喜作が終生深く関わった俳人萩原井泉水のもので、毎年この邸宅を訪れていたという。
茶室は京都から茶室専門の大工を呼んで作らせた本格的なもので、茶室の障子張りも京都から建具の専門家を呼んで仕上げられた。これらの職人は、浅間温泉の旅館に寝泊まりして作業を行なったという。また、裏千家風の露地を作るため設計師を京都に送って学ばせ、さまざまな樹木を配し、四季の移ろいを感じさせる侘び寂びの空間を作り上げた。
平成7(1995)年に遺族から松本市に寄贈され、芸術文化の振興を図るための社会教育施設『池上百竹亭(ひゃくちくてい)』として翌年に開館した。
(マツモト建築芸術祭公式サイトより)
お庭を抜けた奥にある茶室が会場となります。
松澤宥 Yutaka Matsuzawa
大正11(1922)年、長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。日本のコンセプチュアリズムの先駆者。昭和21(1946)年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業、ほどなく下諏訪に戻った。昭和24(1949)年、詩集「地上の不滅」刊行。昭和27(1952)年、美術文化協会12回展に初出展。昭和30(1955)年、フルブライト留学生 として米国に学ぶ。
昭和33(1958)年、第10回読売アンデパンダン展に「唯心論シリーズ」を出展し、昭和38(1963)年まで毎年出展する。昭和39(1964)年「オブジェを消せ」という啓示を受け、概念芸術家としての活動を始める。
ベニス・ビエンナーレ(1976)、サンパウロ・ビエンナーレ(1977)をはじめ海外での発表を多数行い、欧米にもその名を知られる。平成12(2000)年以降は、斉藤記念川口現代美術館、東京国立近代美術館、豊田美術館など国内でも発表。平成18(2006)年、郷里の長野県下諏訪で84歳の生涯を閉じる。(マツモト建築芸術祭公式サイトより)
茶室に備えられた水色、ピンク色のボードに展示された作品は、和の空間と不思議にマッチしています。
松本オープンガーデンのお庭ですので、普段はお庭のみ無料で入ることは出来ます。
今回は、初めて茶室を見ることが出来て良かったです。