ディープな浅間温泉探検隊!工芸の五月建築家と巡るタイムトラベル密着取材!第1章
建築家と巡る城下町 みずのタイムトラベル ~浅間温泉~工芸の五月 第1章
工芸の五月が始まり10年 タイムトラベル初の浅間温泉に潜入!
5月19日(土)12時30分~ 浅間温泉本郷公民館集合
定員はすぐにいっぱいになる人気企画です。
今回の講師の面々は、松本市内の建築士の方々と信大生
最初の挨拶で「今回は城下町を離れて浅間温泉を巡ります。浅間温泉も歴史は古く縄文時代の遺跡が発掘されているほか、日本書紀には天武天皇が東国にも副都を置こうとして役人に調査を命じ「束間温湯(つかまのゆ)」に行宮の造営を開始したと思われる記述があるそうです。これは浅間温泉ではないかと考えらています。」
コアな建築のお話と古い地図や写真を検証しながらワクワクタイムが始まります~
1 もう見ることは出来ないかもしれない貴重物件
「松門文庫(しょうもんぶんこ)」
大正時代に建てられた擬洋風の建築です。
当時養蚕業を営んでいた二木家「たまりや」へ養子に来た二木洵氏は窪田畔夫(松門)氏の二男で、父の松本地域への貢献を世に伝え、その蔵書を市民に公開するための記念館として大正8年に建設しました。これが松門文庫です。
所有者のご好意で、今回見学することが出来ました。貴重な体験です。
左官仕事が見事で100年近く経過したとは思えないほどの良い状態!良い仕事だからこその素晴らしい建物です。
大正時代の雑誌にも掲載された建築です。
建築家の皆さんの説明が熱い!
なにがどうすごいのかはよくわかならいけど「凄い家には、凄い職人がつく」と納得に一言!
壊されないで欲しい~願いを込めて最後にもう1枚
2 伝統的な日本家屋のお宿「菊の湯」さん
浅間温泉旅館「菊の湯」さんの館内に入らせて頂きました。女将さんより建物のお話しなど伺いました。
「この旅館は古く見えますが、43年前に建てられたものです。設計は俳優の山本学・圭さんのお父さんである建築家の山本勝巳さんで、松本平の伝統的な民家の本棟造りです。室内には大きな梁がむき出しにされているのが特徴的です。
旅館の創業は明治24年です。
館内ラウンジには、43年前に購入された松本民芸家具が並び重厚さがバランスよく趣ある空間を作り出しています。
壁には、柚木 沙弥郎さんに染めてもらったタペストリーが飾られています。
●情報
NHK Eテレ「日曜美術館」6月3日放送で「柚木沙弥郎」が特集されます!菊の湯さんにも取材されたそうです。
3 石川氏家紋笹竜胆
東石川旅館 西石川旅館(現存せず)の2つの石川と名のつく旅館は浅間温泉を拓いた石川氏の由来でしょうか?蔵に石川氏家紋笹竜胆が付いています。
4 江戸時代創業 目の湯旅館
浅間温泉の旅館の多くは元々は蚕種業をしていて、温泉宴会場、温泉旅館へと時代と共に変化したそうです。
先祖の中野寅三郎は当時盛んだった養蚕業を営み、地域の発展に尽力しておりました。そののち養蚕業が時代の流れに押されて衰退していくにつれ、旅人が日に日に多くなっていくのに思いをいたし、目に効くという温泉もゆたかなところから旅の温泉宿として衣替えしたのでございます。これが目之湯旅館の始まりで現在が八代目に当ります。
また当時の文化人や政界の方々がこの地を好まれて集まり、文筆や言論を通して交流を深められたこの館を紫山楼(しざんろう)と名づけたのでございます。(目之湯HPより)
目之湯の小路
好きな小路です。
目之湯の横の小路は、なまこ壁が続いています。仕上げ前と仕上げあと半分途中でやめていると教えてくれましたが、 その理由は定かではありません。
桜ヶ丘古墳
目之湯の小路を抜けて「ハイ集合!」前方に見える小山(木が多い茂っています)が、桜が丘古墳です。
金色に輝く冠と甲冑を身にまとった地方豪族の副葬品
中学生による古墳の発見 浅間温泉街の南東に突き出た丘陵の突端に位置する桜ヶ丘古墳は、昭和29年(1954)に女鳥羽中学校の生徒たちによって偶然に発見されました。この発見を契機に翌年には学術調査が行われ、この古墳は5世紀後半に築造された円墳であることが判明しました。この調査の最中に、竪穴式石室の中から出土したのが、黄金色に輝く金銅製の天冠と武具・鉄製武器・装身具等の副葬品です。天冠は昭和44年5月15日に長野県宝に指定され、副葬品は昭和63年3月17日に松本市重要文化財に指定されました。その後、平成22年10月18日、松本市重要文化財の副葬品63点が金銅製天冠と合わせて桜ヶ丘古墳出土品として長野県宝に指定されました。(まつもとの宝より)
第1章終わり
今回の案内人で建築家である新まつもと物語市民記者藤松さんにご協力頂きました。
最後に10年前に書いた新まつもと物語のブログ「気ままに浅間温泉散策コース」の記事も懐かしいです。