「女鳥羽川という川」その流れは人工的ではない⁉女鳥羽川再発見連続講座 第1回#女鳥羽川

2021.8.24
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「女鳥羽川という川」その流れは人工的ではない⁉女鳥羽川再発見連続講座 第1回#女鳥羽川

松本市内を流れる美しい女鳥羽川を様々角度から知ることで、私たちの暮らし方に大きなヒントになるかもしれない連続講座「女鳥羽川再発見プロジェクト2021~過去・今そして未来」が8月20日スタートしました。

3年8月20日(金) 大手公民館2階大会議室でおこなわれました。

女鳥羽という川

第1回目は、女鳥羽川の歴史を知ることからスタート

女鳥羽川は武石峠付近を源流とし、松本市街地を流れる一級河川です。
田川、奈良井川、犀川へと続き、千曲川と合流する信濃川水系です。

知っているようで実は、案外知らない、また都市伝説的な通説を信じている人も多い女鳥羽川の歴史を学んでいきます。

第1回目の講師は、まつもと文化遺産保存活用協議会会長で、元松本城黒門の研究員の後藤先生です。

歴史講座

地形図から女鳥羽川の流れを確認してみます。

険しい山間から川が流れ谷間を下りながら平地に来たら真っすぐに下り、市街地に入ると急に角度を変えて東西に曲がります。

女鳥羽川の位置

講座の内容は、「女鳥羽」という名前から始まりました。
今回の記事は、ダイジェストに女鳥羽川の流れの変遷を辿ってみます。

女鳥羽川
「女鳥羽川の流路」 講座資料より
女鳥羽川は、かつては城の北を流れていたが、松本城の築城に際して流路を変えられ、現在の流路となった。という説が巷に信じられています。女鳥羽川が清水の当たりで90度に急激に曲がっているあたりが、人の手によって曲げられたのではないか、それは松本城築城と城下町の掲載にかかわっているからではないかところが、さもありなんとなる理由かと思います。女鳥羽川の流路について検討してみます。

 

 

 

南源池(女鳥羽川の南)あたりの地下の堆積

南源池の堆積

上の図によれば、南源池あたりでは、古い時代には梓川が礫土を運んで堆積し、その後薄川の礫土が入り込み、そのあとい女鳥羽川の礫土が入って来たという順になります。梓川・薄川・女鳥羽川の三河川が土砂を運んできた時代があって、その後薄川と女鳥羽川が運んだ土砂が堆積して現在の地表が出来上がっているというわけで、地下57~70mという深い所に女鳥羽川の礫があるということは、かなり昔に女鳥羽川がこのあたりに土砂を押し流していたということです。(講座資料抜粋)

女鳥羽川の変遷 (『松本盆地の生いたちをさぐる』P90)

地質や地形を専門にする人たちの見方

女鳥羽川の変遷

『松本市史』第1巻自然編に最近の成果が述べられています。
松本は地形の変動によって城山丘陵が盛り上がり、東に傾斜ができたといいます。

上の図のように①から②はそして現在の流れ③に変遷しています。

城山の現地

城山の石

城山へ行くとかつて川であった痕跡の丸石がゴロゴロ見られます。

実際に後藤先生は、先日の大雨のあとに現地に行かれ、雨で流され地形が見える写真を撮影して紹介してくれましたが、見とれていて撮影し忘れました。

城山は女鳥羽川

松本平盆地に隆起した城山丘陵が見えます。

松本市市役所から撮影 3年5月
第1次まとめ

岡田地区で見られる三段

この段は、数十年とか数百年という単位で起きた地殻の変動ではなく、大昔に流路を東に追われたと考えざる得られません。

岡田地区

地形を検討する立場から見ると

歴史時代になってからの松本の河川の流路を、微地形や等高線の並びから迫っていて、最新の成果だと述べられました。

縄文早期から中期にかけては蟻ケ崎方面に流路があったが、古墳時代から平安時代にかけては東より流路が変わっていて、現在より東の大村から横田を流れ、戦国期から江戸初期には現在の流路になったということになります。

 

女鳥羽川の変遷

北深志と南深志の水の流れ方をみると

北から南へと流れています。それに対して南深志の水は東から西へ流れています。その境目は現在の女鳥羽川が流れているところです。女鳥羽川・薄川・田川・奈良井川が合流している地点が白板、宮渕ですから、この地点が1番低い場所になり、そこが水の最終行先です。・・・・北から南へ流れてくる北深志の水は、最終地点へ向かうためにはどこかで西へ向きを変えなくてはいけません。女鳥羽川は清水まで南北方向に流れてきて、それより南へ進むことができなくなり、南深志の水の流れの方向にしたがって、向きを変えていったと考えられます。
ここには、多少の人為的な水筋をつけることがあったかもしれませんが、流路を曲げるといった大々的な工事は必要なかったのではないかと考えます。これが現在の私の考えです。
後藤説

その後様々な疑問を検証されていきましたが、WEB上での公開はここまでにします。

今回の『女鳥羽川という川』は、とても評判がよく、また同じテーマで後藤先生に講義をお願いしています。

それはいつになるかは、まだ未定ですが、今回参加出来なかった方は、お楽しみにしてください。

当日参加者の方のHPにも掲載して頂いています。

「sukima信州」さんHPも ↓併せてご覧ください。

松本市『女鳥羽川(めとばがわ)』を知る〜川名の由来や歴史を地形と文献から考察〜

第2回目「good morningサイクリング女鳥羽川」に続きます。

第3回 水都大阪からのメッセージ コロナ感染拡大に伴い、延期になりました。日程が決まり次第イベント情報で連絡します。
と き 2021年9月6日(月) 会場