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辰巳の庭は、旧松本藩「辰巳御殿」の一部でした。
天保6年(1835)「松本南北深志絵図」によれば、西郷宇右衛門(250石)の屋敷で、この屋敷が辰巳御殿です。屋敷の東側は東総堀で、土塁が築かれその上には土塀が設置されていました。
辰巳御殿は戸田光則(みつひさ)の父光庸(みつつね)が、弘化2年(1845)わずか治世9年で隠居したため日常の住居として造られました。
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辰巳のお庭から東側の東総堀は、明治になってから埋め立てられました。
緑町は、東にある映画館などで栄えていた上土通りに来るお客さんの飲食する場所として賑わっていました。
春になるとコヒガンサクラが咲き、街中で1番早く桜の名所になっています。
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