明治に入り松本城を取り囲む総掘りは、南から順番に埋めたていきました。 明治天皇の御巡幸に合わせて、女鳥羽川に挟まれた南総掘りは、1番最初に埋められました。
その後徐々に北側も埋められていくと、元々総掘りは、堀の水は湧水で満たされていましたので、 埋められた際、松本城北門馬出(うまだし)跡地に水が湧きでて来ました。
そこで「北門大井戸」が作られ庶民の井戸として使用されてきました。