兼平が開基した宝輪寺
松本市上今井にあり、開基を今井四郎兼平とする真言宗の寺。5月中旬に掲題に咲き乱れるボタンは有名。
宝輪寺の創建は其年代往古にして詳らかではありませんが、天平年間、光明皇后御筆の法華経が最古の寺宝として伝えられています。平安時代初期、弘法大師御巡錫の折り、不動明王を描かれご本尊として祀り、山号を平城山と称したといわれています。 安元・治承の頃、今井に住した今井四郎兼平、本寺の荒廃を歎き祈願寺として再建。自ら中興の開基となりました。 慶長年間、僧廣覚が中興の開山をなし、法流は弘法大師より三十三世孫、高野山検校法印遵胤の法質、覚秀により延宝三年(1675年)相伝しました。 江戸時代後期、檀林寺として多くの僧を養成し、隆盛をほこりました。 当山は開山より高野山準別格本山、大聖院の末寺でしたが、一時期、真言宗智山派に属するも、現在は高野山金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗に属しています。 |
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弘法大師信仰 開山堂には、不動明王、普賢菩薩を従え、弘法大師様が中央に祀られています。 天保五年(1834年)、松本平に四国八十八ヶ所零場を開創し、印施寺として天地長久・滅罪生善の巨益を施しました。 明治初年(1868年)、四国霊場各寺院より土砂加持されたお砂が分尊され、明治四十年頃、四国六十一番香園寺修行僧が当寺を訪れ、大師講を作り、毎月二十一日を縁日としました。平成五年(1993年)にはお砂を境内に移し、四国霊場寺院のご本尊を勧請し、石仏霊場として大師信仰が多くの人に伝えられています。 観音信仰 厄除信仰 蚕玉様信仰 聖徳太子信仰 |
↑ 公式サイトより情報を頂きました。