松本市芳川地区は、奈良井川と田川に挟まれているにもかかわらず地下用水に乏しく、集落が形成された時代から域内に用水路を巡らせてきました。奈良井川の河川敷の簡易堰から取水していましたが、用水路は大雨の度に流され、農業用水の安定供給が課題でした。その解決策として、幾多の困難を乗り越えて恒久堰(四ヶ堰)を築いたのが百瀬三七です。四ヶ堰用水は、その後も整備・改良が行われ、円筒分水はそのシンボルとなっています。
昭和29年、松本市と合併以来、急激な都市化と人口増に伴う開発が続き、かつての田畑は宅地化、あるいは商工業用地になり、残された農地も構造改善事業(圃場整備)により大きく変容しました。現在は、先人が苦労して開発してきた用水路や「小字」に、地域の発展の一端を知ることができます。(松本市HPより)