大正ロマンの街 上土通り
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堀の土を上げた所であったことから「上土」と名付けられました。
総掘りが埋め立てられた後、松本市役所をはじめ様々な施設が立ち並び、とても賑やかな通りとなり栄えました。
大正時代の面影が残る建物も3軒だけありそこから「大正ロマンのまち」として町おこしをしていましたが、全体にはその雰囲気はあまり味わえません。
三峯神社
上土通りを北へ進んで行くとビルと駐車場の間にひっそりと「三峯神社」があります。
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備えられた案内看板を読むと明治37年に町内の有志により上土在住者の心の拠り所として三峯大神を勧請し、三峯神社として現在地に鎮座されました。
明治45年4月22日、下横田の正行寺付近から出火した火は、横田、東町、新町へとのび、さらに田町、西町をも襲って、実に1500余戸が焼け出されました。その火災から難をのがれようとした時に、不思議に現在地で火が止まりました。それ以来、町民はより一層「火災之神霊」として信仰を深くしております。
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松本城に4つある中では一番広い馬出し
国宝松本城公式サイトより文・画像を出典させて頂きました。
三の丸から外へ出る場所で、東門と馬出し(うまだし)がありました。東門がありその東には堀を渡る土橋が延び、その先が馬出しです。
門は櫓門で3間(約5.4メートル)×6間4尺(約12.1メートル)の規模、門の西には広場が設けられ、番所や井戸もありました。土橋の長さは18間(約32メートル)ありました。
その先にあった馬出しは、松本城に4つあった中では一番広いものでした。正面には土がもられ外から中が見通せないようになっていました。
出入り口は南と北にあり、北は堀を板橋で渡り、南は土橋で渡るようになっていました。北の橋をわたって右におれると東町の通りに通じます。この通りを「下馬出し(しもうまだし)」と言いました。
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