赤レンガ倉庫の歴史 〜「武」と「学」の松本市〜
松本市には1908(明治41)年に陸軍の松本歩兵第五十連隊が設置され、1919年には全国9番目の高等学校である松本高等学校が設置されました。
松本に「武」と「学」に関する重要な施設がそろい、そこで生活した兵士や学生は市民生活と密接な関係をもつこととなりました。
戦前の「武」を象徴する陸軍は、戦後解体されるとともに、全国各地の駐屯地跡は新制大学の敷地となるものも多く、武から「学」へと大きくその役割を変えました。
松本に置かれた旧五十連隊の跡地には、信州大学の前身校のひとつである松本医学専門学校・松本医科大学が設置。その後、旧五十連隊の建物・敷地は、大学本部や医学部の施設として活用され、その後旧制松本高等学校の跡地である県キャンパスから移転した人文・理・経法の各学部のキャンパスとしても使用されています。
木造の建物は新校舎建設等のため昭和30年代以降に解体。しかし食糧倉庫は、薬品倉庫や研究室、資料室として使われ続け、大学の歴史を証言する貴重な歴史的建造物として保存されています。
2012年には国の登録有形文化財として登録されました。これが現在の赤レンガ倉庫です。
前身校の旧制松本高等学校と同様に、戦前の松本市民にとって身近な存在であった旧五十連隊は、近代の松本を考える上で無くてはならないものです。
信州大学の歴史を紐とくと、そこには松本市民が身近に感じたであろう、旧制松高と五十連隊の歴史に触れないわけにはいきません。すなわち、信州大学の赤レンガ倉庫の歴史は、松本市民の歴史と重なりながら展開している「松本市の歴史を支える貴重な文化遺産」といえます。
*信州大学HPより情報を頂きました。
旧松本歩兵第五十連隊 糧秣庫(国登録有形文化財)医学部 資料室
明治41年以降、松本に駐屯した第五十連隊が食料保管庫として使用していました。戦後、跡地に松本医学専門学校が移転し、建物を校舎や倉庫などとして使用しました。外壁はイギリス積で、欠円アーチ窓を開き、北面三箇所、西面一箇所の戸口を設け、小屋組はキングポストトラス構造です。松本キャンパスには、第五十連隊に由来するレンガ造りの建物がいくつか残されています。
建築年代:明治41年(1908年)頃 煉瓦造り平屋建て 切妻桟瓦葺き 桁行 36.32m 梁間 9.09m 延床面積 331㎡ 国登録有形文化財:2012/8/13登録