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松本郊外 五感を使って自然や歴史を体験

梓川地区の歴史を車で訪ねる

重文の大宮熱田神社等巡り 90分
古くから農業を中心に豊かな文化が開けた梓川地区。ここには国の重要文化財に指定された鎌倉・室町の歴史が多く残されています。車で回る梓川地区の歴史探訪です。(参照「松本のたから」 市民記者 塩原・西森・三沢)
01
西牧山真光寺

西牧山真光寺

梓川地区上野にある西牧山真光寺。かつて山麓を走る街道筋にあったこの寺は、麓の町が一望できる眺望の良い高台にあります。今は無住寺になっていますが、かつての繁栄が偲ばれる佇まいです。
ここは人々から「上野のお庚申様」と呼ばれ親しまれています。今も年に一度の初庚申の日には、近隣の町村から集まった人々で大変賑わいます。
02

《国重要文化財》木造阿弥陀如来座像と両脇侍像

阿弥陀如来座像は檜材の寄木造で、豊作・厄除け・子孫長久を祈念したものです。がっしりと安定した姿は鎌倉時代の特徴を示しています。両脇侍像(観世音菩薩・勢至菩薩)は室町時代の作品と推定され、仏像三体が重文指定を受けています。
10分
03
若宮八幡宮

若宮八幡宮

八幡宮は鎌倉時代初期に中世の豪族・西牧氏が北条地区へ居館を移した際、鎮守の守り神として造られました。祭神は上野の八幡宮を移したものと思われます。
八幡宮・鞠子社は滋野氏(西牧氏の前身)がこの地に来る前からあった産土(うぶすな)神なので移さなかったと考えられます。ここには大きなメグスリの木があり長野県の天然記念物になっています。
04

《国重要文化財》本殿

室町時代中期・文明年代に造られたとされています。
社殿の特徴は浜縁が母屋の地長押(*)まで上がっている見世棚(**)です。
柱は角材を用い、大きく面取りをしてあります。木鼻は天竺様の絵模様が彫られ、簡素な手法が軒を深く見せています。母屋は切妻・棟かくしの古風な造り、室町の古い様式で地方色は少ないと言えます。
* 地長押じなげし・・柱と柱をつなぐ水平材。土台に接するものを地長押という
** 見世棚造・・・出店に似た見世棚が本殿前方に出ている
05

釈迦堂

本堂は西牧氏の菩提寺で、天正15(1583)年に焼き払われ後再建しましたが、廃寺となり、現在は釈迦堂だけが残っています。
本尊は釈迦如来像です。梓川釈迦堂鎌倉時代初期の作とされる、檜材一本彫り製の坐像。螺髪(*)を切付とした丈夫な構造で、内髻(**)が高めで肩張膝張が大きく、安定した美しい姿です。
(*) 螺髪らほつ・らはつ・・・仏像などの頭の部分にある縮れて右に渦巻く巻貝の形をした頭髪のこと
(**) もとどり・・・束ねた髪のこと

春には見事なシダレザクラを見ることができます。

5分
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《国重要文化財》本殿

室町時代に建立されたと伝わる本殿は、こけら葺き屋根の見事な曲線や一間社流(*)など室町末期の建築様式の特徴を伝える建築です。

(*) 一間社流造り・・・伊勢神宮に代表される神明造から発展し、屋根が反り、屋根が前に曲線形に長く伸びて向拝(こうはい、庇)となったもの。全国で最も多い神社建築
15分
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七日山石仏群

小室諏訪神社の裏山、金比羅宮からの参道に江戸時代に置かれた88体の石仏群が並んでいます。金毘羅宮は文政5(1822)年に小室菰立山に建てられました。
天保6(1835)年頃、和田村の久右衛門が金毘羅宮の麓に観音像を建てたところ、持病が治ったのが評判になり、信仰が広がって多くの石仏が建てられました。
明治23年に個人所有から小室中塔の氏子所有になり、金毘羅宮祠は七日山山頂に遷座されましたが、後にこの山麓に移されました。
裏山のうっそうとした木立の中を、祀った人の名前が刻まれた石仏を一体一体眺めながら上っていくと、江戸時代の人々の思いが伝わってくるようです。
20分
09

恭倹寺

小高いこんもりした木立の中にある恭倹寺。紫陽花と牡丹の花が両脇にある良く手入れされた参道を上っていくと鐘楼が現れます。

鐘楼は明治24年、松本市清水に住んでいた飛騨の匠師、山口権造により建てられました。ここで目を引くのが見事な枡組です。この枡組は、元々は波田にあった若沢寺のもの。信濃日光と言われた若沢寺が廃仏毀釈で廃寺となり、枡形はその部材を譲り受けて作られました。手の込んだ造りから往時の若沢寺が偲ばれます。

梵鐘は千葉県最勝福寺という、上総の国最古のお寺にあったものです。この最勝福寺も廃仏毀釈で廃寺となり、その時売りに出された梵鐘が転々と売買され、たどり着いたのが、この恭倹寺。梵鐘は江戸時代元禄11(1698)年に作られたものです。
10分
11

火打石(田んぼの中にある巨石)

東西9m、南北7,5m、高さ3m。明神岩とも呼ばれています。
明治30年に梓川の氾濫で土砂に埋まる前は、高さは10数mあったそうです。地質学的には古生層角岩(チャート)。
松本市新村には「根石」という地名の場所や岩崎神社があり、梓川の河床の下を通って火打石に繋がっているとも言われています。岩の頂上には岩岡神社の奥社と言われる岩明神の祠を安置しています。