江戸時代は、総掘りと女鳥羽川に挟まれた土手でした。一本の縄を伸ばしたような真っ直ぐな道から「縄手通り」と呼ばれています。明治になり天皇ご巡幸に併せて南総掘りが埋められ「四柱神社」が建立されてから参道として賑わいました。大正時代から場所止めさ... [続きを読む...]
女鳥羽川の氾濫を鎮めるために建てられた
かつてここに料亭「鯛萬」があり名付けられた
高さ20mのケヤキの下に湧く泉 平安時代には近くを官街道が通った古くからの水場
松本市市街地唯一の醸造元 湧水で作る酒や甘酒は美味と評判
平安時代の官街道の旅人の泉。戦国時代・江戸時代から人々の暮らしの中にあった水。 そして、昭和・平成へと続く。
市民記者ブログの「水巡り」タグの記事もご参照ください。