COLUMN

美術とめぐる松本

松本の文化と言えば、やはり音楽。とりわけセイジ・オザワ松本フェスティバルはこのまちの看板イベントとして広く知られています。スズキ・メソードの活動とともに、「楽都松本」の支えです。あるいは工芸。全国屈指のクラフトイベントの開催地として、毎年5月、10月には、たくさんの作家、愛好家、ファンが各地からこの街に集い賑やかです。一方、美術は、と言えば、そう、もちろん草間彌生さん(1929-)。松本出身の世界的アーティストです。

信州大学人文学部芸術コミュニケーション分野教授 金井直

福岡県出身。信州大学人文学部芸術コミュニケーション分野教授。前職は豊田市美術館学芸員。近現代彫刻や美術館のしくみに関心があります。それからイタリア、とくにヴェネツィアの美術。現代美術の批評や展覧会作りもやっています。

草間彌生を再発見

水玉で飾られた草間バスを市内でご覧になった方も多いはず。松本市美術館も正面は水玉(2017年9月現在)。通りに面した広場には草間作品としては最大級の彫刻《幻の華》(2002)が据えられ、訪れる人々を、ぐっと草間ワールドに引き込んでいきます。

美術館内にも常時草間さんの作品がいっぱい。ヴィヴィッドでポップな、全身で感じるインスタレーションアートを楽しめますが、同時に注目したいのは、ニューヨーク出発(1957年)以前の草間さんが、松本で描いた初期作品の数々。彼女の活動の原点を知るうえで見逃せません。また、同時代の前衛美術との比較など、興味の尽きないところです。ちなみに若き草間さんの才能を見いだし、東京のアートシーンとの橋渡し役をつとめたのが、当時の日本を代表する精神科医、西丸四方(1910-2002)でした。西丸先生は信州大学医学部精神科初代の教授です。現代アート界の大スターの“発見”に、地域の大学の、心をまもる・探る医療・研究が関わっていたわけです。「学都松本」の大切なエピソードだと思います。

草間彌生 《幻の華》 2002年 《松本から未来へ》 2016年

 

西郷孤月をご存じ?

細川宗英 《王妃像No.1》1984年

草間さん以外の松本出身のアーティストといえば、誰でしょう。たとえば細川宗英(1930-94)。人間存在という大きなテーマに真正面から向き合い続けた彫刻家です。その作品は松本市美術館で常時鑑賞できます(諏訪市美術館にもまとまったコレクションがあり、おすすめです)。あるいは現在活躍中の作家さんとして、飯沼英樹さん(1975-)を挙げておきましょう。木彫ならではの技術や伝統に、ポップな現代性を重ねるスタイルで、いま大いに注目されています(松本市美術館にも飯沼さんの作品は所蔵されています)。

 

さて、もうひとり、むしろ時代を遡って名を挙げるならば、やはり西郷孤月(1873-1912)でしょう。明治期を代表する日本画家として、東京美術学校同窓の菱田春草(飯田出身)とならび称されるべき存在ですが、その不遇の人生ゆえか、長らく脚光を浴びる機会に恵まれませんでした。しかし、近年では専門家、蒐集家、そして信州・松本のみなさんの研究・ご努力によって、再評価・再注目著しく、松本市美術館においても孤月作品はとくに人気の収蔵品、来館者のお目当てになっています(日本画ですので、展示期間は限定的です。ご興味のある方は、直接美術館にお問い合わせになることをおすすめします)。同館収蔵品のうち、私のおすすめは《台湾風景》(1912)。孤月最晩年の作です。人生の挽回をかけるかのように突如台湾に入った孤月。異郷の自然に、そして社会に、彼はいったい何をみいだしたのでしょうか。彼の想いに、さらに観る者の心もうつしたくなる一点です。

《台湾風景》 1912年(明治45年)

まちなかで感じたい美術の魅力

美術と出会う場所は、もちろん美術館のみではないでしょう。松本の街をめぐっていると、落ち着きのあるお店の壁に、なかなか立派な絵画が掛かっているのをよく見かけます。西郷孤月について言えば、市内浅間温泉の旅館「富士乃湯」さんのコレクションはとくに素晴らしいものです。同館ロビーには、常時1、2点のオリジナル作品が展示されていますので、機会があればぜひ。

さて、浅間と言えば、もう1カ所、ギャラリー「ゆこもり」に足をのばすのもよいでしょう。現代の陶芸をメインに紹介するギャラリーですが、その延長・展開として、現代アート寄りの展示も精力的に企画されています。もともとは湯治宿だったという家屋の一角で、日々の暮らしとアートのつながり、あるいはそのコントラストを感じるのもよい経験です。

手仕事扱い処ゆこもり 栢野紀文陶展Ⅶ 『clay boy○clay ball』

同じく日常と地続きの空間で美術に触れるとすれば、もうひとつのおすすめが、awai art center。深志神社につながる天神小路に2016年にオープンしたギャラリー&カフェです。通りからすっと立ち寄れる気軽な空間。その開かれた、フラットな印象に応じるかのように、展示作家も、新進気鋭の若手から世界で活躍するベテランまで、気負いのない多様なラインアップ。美術館ではなかなか接することのできないボーダーレスで、ときにラディカルなアートシーンの一端を垣間みていただけます。松本アートめぐりの締めくくりに訪れていただきたいスポットです。

 

ところで、美術のおもしろさとはなんでしょう。もちろん作者の思いが伝わることや、似ている、きれい、といった印象も大切ですが、ほかの芸術、つまり音楽やお芝居との違いをあえて強調するならば、眼の前のものが時代を超えて伝えられるという事実ではないでしょうか。30年後、100年後に草間さんや孤月の作品を見る人はどんな思いを抱くのでしょうか。あるいは30年前に草間さんを、100年前に孤月を見た人は、どんな言葉を残したのでしょうか。1個の美術作品は、つまり、私たちの想像を未来へ、過去へとつないでくれる大切なきっかけ、感性のタイムマシンのようなものなのです。松本での美術作品との出会いが、みなさんにとって大切なひとときとなりますように。