建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 第3章飯田町~中町はかり資料館裏まで

2020.10.27
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建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 第3章飯田町~中町はかり資料館裏まで

10月17日・18日2日間 秋の工芸の五月「建築家と巡るみずのタイムトラベル」が開催されました。本来ならば、毎年5月に行われていますが今年はコロナ禍で中止となり、秋に行われることになりました。

今回はコロナ渦中に合わせテーマは「防災編」、松本城下での水害・火災・地震・疫病・飢饉などの記録を辿るタイムトラベルです。

3時間のツアーの予定が1時間オーバーの4時間になり内容も深いので5回に分けて投稿します。
その3回目です。

1回目の記事は、こちらです。2回目の記事は、こちらです。

飯田町

飯田町

親町3町枝町10町24小路と呼ばれている中で、「飯田町」は枝町になります。

小笠原秀政公が飯田より松本へ来たとき、侍衆を住まわせたり慕ってついてきた職人衆を住まわせたりしたところから「飯田町」と名付けられたそうです。

地図

明治21年におきた極楽寺の大火で南の極楽寺から風に煽られて一気に炎は北へ上がり辺り一面火の海になり大きな被害をもたらしました。

この写真の1番奥に極楽寺があります。

飯田町通り

中町

旧善光寺街道に沿う中町は、本町・中町・東町と親町3町の一つです。塩問屋や肴問屋がある街道筋の問屋街として発展してきました。
明治21年の極楽寺の大火により多くの家屋が焼失しましたが、焼け野原に残った「なまこ壁の蔵」が耐火建築物として見直され、現在でもその一部を残し、街なみとして歴史の面影を現在に伝えています。

中町 蔵シック館

中町に隣接する宮村町にあった造り酒屋「大禮酒造」の母屋・土蔵・離れの三棟を現地に移築し、平成8年10月に開館しました。母屋・土蔵は明治21年に建てられたといわれ、離れは大正12年に増築されました。その当時松本の城下町は、豊富な湧き水を生かした酒産業が盛んでした。
母屋の間取りは間口から見ると左より土間・板の間・座敷の三つに分けられます。移築にあたり一部の間取りや材料等を変えて、貸し館として文化と憩いの場となり、現代に甦りました。土間の一部の吹き抜けの豪快な梁組や座敷などは昔のままに復元されています。移築再生した建物は、公募によって「中町・蔵シック館」と愛称が付けられ、松本城下町の観光スポット「中町」のシンボルとなっています。(出典:蔵シック館HPより)

蔵シック館

防災井戸 「蔵の井戸 手漕ぎ式ポンプ井戸」

蔵シック館蔵シック館の庭にある井戸

蔵シック館井戸

蔵シック館に展示されている蔵の構造のお話し

蔵シック館構造

中町通り道路のお話し

この道路には車道がありません、歩道もありません。色が違いますが、歩道との区別ではありません。
ここでは車と歩行者は一体になり道路を使わないといけません。

お互いに気を遣いながら仲良く道路をシェアしたいと思います。

個人的には、車は「人の迷惑にならないように気をつけてゆっくり走らせてもらいます。」と思って欲しいです。

中町通り2

はかり資料館

松本市はかり資料館は、明治から昭和末年まで営業を続けた竹内度量衡店が前身で、資料と建物を松本市が譲り受け、土蔵を活かした中町通りのまちづくりの先駈けとして、平成元年に開館しました。

はかり資料館

はかり資料館裏 旧三松屋蔵座敷

はかり資料館の敷地の裏に老舗の材木問屋「三松屋」の蔵座敷があります。
7代目当主である三原彰氏から寄付を受けて現在地に移築、2010年より公開されました。

はかり資料館裏

旧三松屋蔵屋敷

材木問屋の三松屋の旭町にあった土蔵をここに移築。擬洋風の建物、壁のシックイを下見板張りで覆ている。
旧開智学校を手掛けた立石清重が明治27年に建てたもの。立石清重はこの年に65歳で亡くなっていますので、最晩年の集大成の建物。
シックイ塗の土蔵作りは大火が相次いだこの時代に火災から建物や家財を守り燃えにくくする効果があった。

下見板は雨風からシックイを保護するためのもので、交換やメンテナンスができるようになっている。
三松屋
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北側に見える飯森さんの土蔵も立石清重が手掛けたもので、明治6年に建設され、その後明治9年に開智学校ができていることから、
開智学校の建設準備の時に建てられた土蔵。

度々起こった水害対策のため、基礎の内側に砂利や小石を敷き込み水害が起こっても基礎石がずれないように工夫されています。
飯森家はでこのあたりの大地主さんで御用商人として栄えていたため、建築資金も潤沢で土蔵の壁も通常より厚く塗られ火災にも強く、
 明治21年の極楽寺の大火でこのあたり一帯が燃えたにもかかわらず、この土蔵は燃え残り「焼けずの蔵」になったということが、飯森家に代々伝えられているそうです。
三松屋の土蔵が移築されたことで、明治6年の飯森家の土蔵と明治27年の三松屋が、120年余りの時を超え、立石建築が2棟となり同士に立っているのも何とも不思議な縁ですね。
飯森家蔵

次回は、第4章ひとつ橋~上土通り~裏町 正行寺に続く・・・

*工芸の五月スタッフ・建築家の方々に監修して頂きました。

建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 第1章 松本市立博物館から松本信用金庫耐震補強の話まで
建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災遍 第2章 旧山崎歯科~信毎メディアガーデン
建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 第4章 ひとつ橋~正行寺入口
建築家と巡るみずのタイムトラベル 防災編 最終章 旧念来寺鐘楼~ベラミ人形店

過去のタイムトラベルの記事もご覧ください。

ディープな浅間温泉探検隊!工芸の五月建築家と巡るタイムトラベル密着取材!第1章
ディープな浅間温泉探検隊!工芸の五月建築家と巡るタイムトラベル密着取材!第2章
ディープな浅間温泉探検隊!工芸の五月建築家と巡るタイムトラベル密着取材!最終章